平成20年冬号(vol.8)
みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
年頭の挨拶

みやぎ会 副会長 高橋 林平


暦では猪突猛進の亥年から財を成すという子年に移行しましたが、皆さんはどんな思いで新年を迎えたでしょうか、あらためて、明けましておめでとうございます。

ピーク時の半減にされた公共事業費と、加えてコンサルでも役務でも、市場競争原理の導入により、昨今、関連する業務に就いているOB諸氏のお話にも明るい話はほとんど聞くことはできません。

せめて子年にちなみ、財を成す宝くじでも買って越年の夢を見ましたが、当たらないという交通事故の御守りにしかなりませんでした。

柄にもなく65才で会社を立ち上げ10年が過ぎました。会社創立時に思いを馳せますと、当時、建設協会の業務でありました整備局の各事務所の管理業務の一部について、民間で出来るものは民間でと言う方針のもと、この業務に就いている従業員を解雇することになりましたが、解雇しっぱなしではトラブルも予想され、再雇用のための受け皿会社の設立が待たれましたので、10年間お世話になりました協会に対する恩返しのためにもと協会とは完全分離の会社を創立することとしました。

そして、あわよくばOBの第3の職場作りのささやかな手伝いが出来るのではないかと思ったのです。また、心奥には、「鶏口となるとも牛後となるなかれ」という気負いもあったかもしれません。

もともと能力の無い者が、会社の経営を10年、世情の趨勢に抗して、気力、体力を使い果たして、いまや風前のともしびと言ったところですが、なぜこんなことを記したかといいますと、私の経験からして、65才からの人生は長いですよと言いたかったのです。もし私が65才で完全リタイヤしていたら、どれほど退屈な人生であったかと思えてなりません。皆さんのようにボランティアを含めて、余生を社会貢献のためにと崇高なまでの考えなど私には微塵もなく、家内にはおそらく粗大ゴミ扱いされていたにちがいありません。協会のOB会は松風会といいますが、これは松風を友として余生を送りたいという思いが込められていますが、とてもとてもまだそんな余裕も心の準備もなく、まもなく喜寿を迎える年寄りが、藤あやこのド演歌にたまさかな癒しを求める体たらくです。

ある仏教徒によれば、癒しというのは一定の時間だけの効果しかなく、しばらくするとまた不安になる、そうすると、もっと強烈な癒しが必要になり、ある意味で、麻薬的でさえあるのだそうで、癒しではなく真実の安心を仏教でと、説いておりますが、神仏混交を平素の習いとしているものにとって、終生安心を得ることは出来ないものと思わざるを得ません。

一休禅師の道歌に

門松は めいどのたびの一里塚  馬かごもなく とまりやもなし

というのがありますが、後半は「めでたくもあり、めでたくもなし」で知られており、馬かごもなくとまりやもなしが正しいのだそうですが、私にとっては新年を迎える度にめでたくもあり、めでたくもなしの心境であります。

終の住みかを愛子の地に定め、三代の家祖の墳墓も愛子の寺に改葬し、自分自身逝く準備はととのったと思っても安心の境地にはほど遠い思いです。

こういうときに時節ごとに開催される、みやぎ会の行事には、他の一過性のOB会とは異なり、居住地が同じところのOB会は、逝く時も一緒のような連帯感もあり、本当に癒されており大変ありがたく、折々の幹事には感謝の言葉もありません。インドアのみの参加ではありますが今後ともよろしくお願いいたします。

新年早々若いOBの諸氏には、縁起でもない雑文だとおしかりを受けそうですが、型にはまった恰好いい文章は、とうとうこの年まで会得出来ませんでしたので平にご容赦の程お願いし、年頭のあいさつの責めを果たさせていただきます。

みやぎ会の活動
平成19年ボランティア活動状況

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。なお、この活動につきましては東北建設協会の「みちのく国づくり支援事業」に採択され、傷害保険の支援を頂いております。

ボランティア風景 ボランティア風景

旧宮城町-私の住んでる町「愛子中央」

愛子中央の紹介

愛子の歴史や全体像については、すでに何人のかたが詳しくわかりやすくご紹介しておりますので、私は愛子中央に住居を構えて24年間日頃感じていること、見聞きしていることを紹介してみたいと思います。

まず、愛子中央(1〜6丁目)の範囲は、JR愛子駅を中心に東は旧国道48号と県道赤坂・明神線交差点から開成橋まで、西は仙台電波工業高等専門学校交差地点まで、南が旧国道48号から北は広瀬川に囲まれたおおよそ東西1.2q南北0.6qに囲まれた区域となっております。

さて、「愛子中央」の特色をと考えてみますと、胸を張って申し上げられることは……。

まず、周囲の環境ですが全く住宅地域の一言に代表されます。

私がここに住み始めた頃からすれば、周辺に相当住宅が増えた以外はとりたてて大きな変化はありません。以前は、JRの列車本数も少なく仙台に出るのが大変でしたが、今はそれなりに便利になりました。

しかし、こんなにも変化のない地区も珍しいのではないかと思いながら、一方、そのことがほっとできる一つです。

次に、自慢のいくつかを紹介しますと、今年も3月から9月頃まで家で食事をしながら鴬の鳴き声を聞けることです。以前はカッコーの声も聞けましたが数年前から住宅建設ブームで、さすが、カッコーは広瀬川を越えないと聞けなくなりました。

また、地域内の3階以上の建物は「市民住宅」の何棟かを除けば、周囲の反対おしきって建設された2棟のみです。

公共建物は、中学校1,電波高専、農協があるのみで、食料品の買い物ができる店は以前2軒あったスーパーが今はなく、コンビニエンスストアが1軒あるのみで、その点は大変不便ですが、スーパーと生協まで3q?自転車を走らせメタボ予防になると妻が言ってます。

ほかにパーマ屋さん2軒書きたくないホテルが1軒あります。

でも、ふきのとうが春を告げそして二輪草、カタクリ、水芭蕉などが美しく咲き乱れる頃、お待ちかねのウド、たらの芽、コシアブラ、ミズ、ふきそしてワラビは、お盆前まで歩いて30分範囲で収穫が楽しめます……、秘密!

最近熊出没注意の看板は消えましたが、サル、狸、リス、イタチそして30分歩くとカモシカの群れ?もみられます。

狸が猫の寝床を占領して眠って?いたことがあり驚きましたが、自然と小動物、人間との調和が図られている地域です。

静かなそして自然豊富なこの町を、私は大切に、また、誇りにしたいと思っております。

以  上

(記 高野 正治)

権現森温泉

北環状線を走ると、もう折立方面に近い大手電機量販店のところにこの看板が見える。山間に佇む一軒家の温泉である。

灰色の空と茶色の多い山並みの秋色深い氷雨の中、ほとんど四十年振りに訪ねてみた。

途中の道は落ち葉に埋もれ、往来の少なさが窺いしれる。

あの四十年になんなんとする昔日、若い男女が二、三十人もいただろうか、この温泉に泊まっているが何しろ記憶は断片的だ。

はっきりしていることは三点ある。建物の前の所に水か温泉かを引き込んでいる樋のようなものがあること。池があったこと。二階の大部屋のような所に雑魚寝をしたこと。しかし、肝心の風呂の記憶がない。結局は入らなかったにちがいない。

さて、同行は四十年前も一緒だったT・Nさん。前日のみやぎ会「いも煮会」で、良いあんばいにできあがって、権現森行きを約束したもので、危うく忘れるところだった。アブナイ危ない、酔っての約束。

到着して、記憶の確認のように周囲を眺めつつ玄関に立つ。ところが、戸がなかなか開かない。レールが相当減っているようで思わぬ力仕事である。

数回声をかけるが返事がない。来客は想定していないかのごとき様相である。ややしばらくあって人の気配。七十年配のご婦人。料金は、五百円なり。

入って左に進むと風呂場に到着。二つの風呂場があるようだが、一つのみ稼働していた。脱衣スペースに入っていくと先客が上がって着替えているところで、「どうぞ」と言われたが、なんとどうもおばあちゃんのようであった。

浴槽は、家庭用を倍にしたぐらいの大きさか。決して広い浴槽とは言えない。我が実家は銭湯を営んでいたことがあるが、その浴槽と比べても半分もあるだろうか。三人も入ればもう一杯だ。

お湯の色は無色にちかく、やや濁っている感じで、源泉は十二度程度の冷たさとかで、沸かし湯である。

ほどなく、足元もおぼつかないように入ってきたおじいちゃんは、月に1、2回通っている常連のようだった。風呂場が新しい様子だったので尋ねたら「五年前に全焼して建て替えた」とのことであった。

帰りに、先程の当温泉のおかみさんにそのことを聞いたら「火事なんかなってない」とのこと。「五年前に建て替えたのならこんなに古くないよね」と、言われてみれば、玄関引き戸のきつさ重さは相当の年期もの。そして建物全体が、記憶の中のものと寸分違わないのだ。二度も、五年前に全焼して建て替えたと言い切っていたあの大映の「忍びの者」で伊藤雄之助演じた百道三太夫をやせ衰えさせたようなおじいちゃん、大丈夫なのだろうか。

帰りの道すがら、同行氏のお宅におじゃまし沖縄風おでんをご馳走になり、また呑んでしまったのだが、温泉効果は、心地よく持続していた。

もしかしたら酒のせいか。

(記 雨後 筍)

仙山線シリーズ - 愛子駅

平成19年春号から始まりました「仙山線」シリーズ今回は愛子駅についてご紹介いたします。愛子地区については平成19年春号で紹介しております。こちらも併せて御覧ください。

愛子駅は、仙台市青葉区愛子中央に位置しており、JR東日本の仙山線の駅である。駅舎の南側がロータリーになっており、バス乗り場やタクシー乗り場、広場の中央には、愛子駅の開業時に子愛観音堂から分けてもらったと言われる1本の枝垂れ桜があり春にはきれいな花をさかせる。

また、愛子駅は仙台駅より8番目の駅で、仙山線の普通列車の折り返し駅にもなっていて、1時間に2〜4本の列車が運行され、仙台までの利便性がとても良い駅で、近くの団地からのバスの乗り入れもあり、多くの地域住民の利用駅になっている。

愛子駅の近郊(錦ヶ丘地区・赤坂地区・高野原地区)で宅地整備が進められ、新築された住宅が目立ち、人口も急激に増加しており、朝、夕の通勤時間帯には大変な混雑をしている状況である。また、愛子駅南口から延びる県道秋保温泉愛子線も整備され、錦ヶ丘方面を通って秋保方面に行く車両も年々増え、(駅構内の案内板にも書かれている)秋保温泉口の副名にもなっている。

2000年に皇太子徳仁親王夫婦の長女・愛子内親王が誕生したときから一躍有名になり、駅の記念入場券を購入する人が1000人/日を超えたと言われています。

当時を思い出せば、駅舎の中が大勢の人々で込み合って、列車から降りて改札口から駅の外に出るのが、大変だった事が思い出される。

また、愛子駅の駅名の由来については、愛子駅前の案内板や仙台駅の地下通路の案内板にもありますが、愛子の地名は「子愛観音」から起こったといわれ、この子愛の観音様の名称から「あやし」の語を「愛子」の文字に入れ替えて「あやし」と読むようになったものと見られている。この地名の由来を受けて、1929年(昭和4年)9月、仙山線の仙台〜愛子間開通の時、愛子駅が開業したとあります。

愛子駅の近くには、愛子観音堂や諏訪神社等の名勝・旧跡も多く、サイカチ沼・月山湖等の景勝地があり、釣りや野鳥の観察等、四季を通じて良い景色を楽しむ事ができます。(平成19年春号 vol.5)で紹介済み。

(参考資料:愛子駅ホームページ)

(記 八鍬 新治)

旧宮城町の名所・旧跡 - 正覚山 弥勒寺

今回より新たに旧宮城町の名所・旧跡をご紹介して参ります。ご期待下さい。

< 故郷の神社・寺院の紹介 >

旧宮城町には、寺院が14箇所ありますが、今回は「大樹銘木」として、仙台市から平成6年2月24日に保存樹木の指定を受け、誠意を持って維持管理にあたっている、正覚山弥勒寺を宮城町史の記録を参考にしながらご紹介いたします。

(文献:宮城町史昭和43年3月31日発行より抜粋)

山 号 正覚寺 本堂-正面
本堂-正面
寺 号 弥勒寺
所在地 宮城県仙台市青葉区下愛子字舘28番地
本 尊 十一面観世音菩薩
本 寺 福現山保寿寺(仙台市連坊小路)
宗 派 曹洞宗

由緒

当寺の開山は「安永風土記」下愛子村弥勒寺書によれば、往昔は天台宗の寺院であったが、中世の末期に一度退転したと伝えています。

その後、仙台連坊小路の保寿寺の第三世安伝玄宅大和尚によって中興され、以来曹洞宗に改宗したと記されています。

古寺である当寺の境内には元亨四年(1324)甲子二月二十五日に、建立された古碑が遺存されています。元亨という年号は、後醍醐天皇の御代になっているので、弥勒寺の開山は古い時代のことであると推定されます。

寺の堂宇
本堂 (間口九間 奥行九間 面積 約268平方メートル)
庫裡 檀信徒会館(面積 約528平方メートル)
弥勒堂 (本尊弥勒菩薩 面積 約7平方メートル)
六角堂 (面積 約 46平方メートル)
方丈の間 (面積 約 33平方メートル)
薬医門 (面積 約 5.2平方メートル)
境内にある仏像
釈迦牟尼佛立像
一葉観音
十二支守り本尊
水子地蔵菩薩
聖観音菩薩立像
境内にある古碑 元亨の碑(俗にうなり石と呼ぶ、元亨四年二月二十五日遺弟了円が先師のために建立した碑)
境内にある大樹銘木
大銀杏 (樹齢約360数年 根廻り約5m)
(樹齢不明 根廻り約9.6m 俗に千本桂)
サルスベリ (樹齢約360数年 根廻り約5m)
3本とも「仙台市保存樹木 平成6年2月24日指定」にされております

現在の堂宇は、檀信徒の増加と旧本堂の老朽化を機に、平成8年に本堂を新築し、平成12年には庫裡と檀信徒会館を新築されました。また、平成18年には方丈の間(33平方メートル)を増築され、同年、弥勒寺には内門(薬医門)の配置がなかったので、仙台市木町通り一丁目の方から移築(5.2平方メートル)されて、本年は、弥勒堂(本尊弥勒菩薩)の改修工事が行われました。

近年は、愛子バイパスが上下4車線化されたため、通過車両から蕃山の麓に構える弥勒寺の風格ある本堂に見せられてか、本堂の見学者が境内にある仙台市指定の大樹銘木(大銀杏・桂・サルスベリ)をサルスベリ、大銀杏、桂、並びに元亨の碑の順に見学していきます。

また、バイパスの北側を境内周辺から見渡しますと、大規模なグリンタウン栗生(約2,000戸)と、栗生西部ハイタウン(約1,600戸「商業地域400戸、住居地域1,200戸」)さらに、東都タウン(約100戸)が整備されて、周辺地域の良好な宅地開発と、商業地域の発展が望まれます。

弥勒寺檀家の戸数は、周辺地域の宅地開発と商業地域の整備による増加もあると思いますが、まずは、先代の石川義憲住職、現在の石川伸光住職の檀信徒に接する人柄にあると思い、益々のご活躍が期待されるところであります。

(記 平野 多田夫)

トピックス

「みやぎ町」生活便利施設

 

高速道路宮城IC付近からも目立って見える白と青の煙突のある所が、仙台市の葛岡リサイクルセンターです。

いつの季節でも、家庭内の整理や処分品の始末に迫られることがあります。そんな時に利用すると「なあーんだ」と拍子抜けするくらい簡単に利用できます。

便利さの第一は、「ワケル君」以前の対応でいい点です。つまり「プラ」も「燃える」も「燃えない」も気にしないで「家庭内ごみ」でいいのです。

これを、適宜にマイカーに積んで、施設の案内に従って受付に行くと、簡単な申請書類に必要事項を記載して、車ごと重量を測ります。乗用車であれば、座席やトランクにかなり詰め込んでも千円程度(最低単位が千円)の処分費用です。

燃えるとか、燃えないとか、プラとか、小分けにして何回もごみ収集場所まで運ぶ手間や、あまり一度に大量に出すとご近所の迷惑にならないだろうか、とかの面倒や心配が一切いりません。

あとは係員の指示や場内の表示に従って、指定された場所に係員と一緒に捨てるだけです。

混んでいなければ、ものの20分もかからないでしょう。

粗大なものや重量のあるものでマイカー運搬が困難なものは、予約して有料で回収してもらうことになります。

この施設には、年中利用可能なプールがありますが、正面玄関(ごみ処分の入口は手前側なので、その奥側)一階には、家具などがずらりと並んだ展示コーナーがあります。

大は洋服箪笥からテーブルセットやベッド、小は除湿機などの電化製品や生活小物まで月変わりで色んなものが展示されます。これは、毎月抽選で希望者に提供されます。以前は全くの無償譲渡だったのですが、近年、任意のカンパをいただくようにお願いしているようです。

その脇に、本コーナーと古着コーナーがあります。いずれも提供するための持ち込みはいくらでもオーケーです。そして、展示されているもので欲しい物があった場合は、一人当たり3点まで、備え付けの帳面に名前を書くだけで自由に持ち帰れます。

子供達の成長や旅立ち等によって生じた家庭内のごみ処分のため、当施設を数回利用しましたが、最初のときは、例えば、壊れた置時計や額縁などは別にしなければならないのだろうかなどと要領を得ないまま持ち込んだのでしたが、「ごった」で結構でした。

結構知っているつもりでも実際はあまり利用していない便利な施設や制度についての情報をぜひ編集委員までお寄せください。

(記 田尻 勉)

芋煮会幹事より(報告)

恒例のみやぎ会芋煮会が、去る平成19年11月10日(土)に、いつもの所で、会長以下17名の参加で行われました。若干少ない集まりでしたが和やかに懇親いたしました。

(担当幹事:八鍬)

原稿募集のお知らせ

編集委員会では、会員の皆様からの原稿を募集しています。

おもしろい話、地域の出来事等、何でも結構ですのでどしどし、お寄せ下さい。まってまーーーす。

【問い合わせ先】

担当:及川 公一郎