平成19年春号(vol.5)
みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成19年ボランティア活動予定
  • *平成19年 4月 28日(土)
  • *平成19年 5月 26日(土)
  • *平成19年 6月 23日(土)
  • *平成19年 7月 28日(土)
  • *平成19年 8月 吉日
  • *平成19年 9月 22日(土)
ボランティア風景 ボランティア風景

旧宮城町 - 私の住んでる町「 愛子 」

旧宮城町のあらまし。

みやぎ会・平成18年夏号で高橋成美編集委員が紹介しています

青葉区の西部に位置する宮城地区は、旧宮城町の地域であり、昭和62年度の合併後、現在は青葉区宮城総合支所の所管区域となっています。

宮城地区の面積は区の86%を占め、山形県境に接しており、東部は、大規模な宅地開発と区画整理が行われ人口が急増しているほか、郊外型商業施設の集積が進んでおり、西部は、宮城地区の地域中心拠点としての各種都市基盤整備が進められ、北西部では畜産、農林業などが営まれています。又豊かな自然環境と温泉等の観光資源に恵まれ,四季折々に市民が楽しめるリゾート地として親しまれています。

旧宮城町から仙台市青葉区となった経緯について

芋沢村と大倉村が明治22年4月1日に合併大沢村に又、作並村 ・ 熊ヶ根村 ・ 上愛子村 ・ 下愛子村 ・ 郷六村の6村が明治22年4月1日に合併し、広瀬村になりました。

新川村が秋保村と明治22年4月1日に合併。大沢村と広瀬村が昭和30年2月1日に合併して宮城村に、又新川村と昭和30年4月1日に合併しました。

昭和38年11月3日に町制施行にて宮城町になる。その後昭和62年11月1日に仙台市と合併し青葉区となりました。

愛子地区について

愛子駅付近を中心に東西に街並みが発展した地区のように見られます。

愛子駅付近(愛子駅)は青葉区愛子中央にありJR東日本の仙山線の駅あります。駅舎の南側に駅前広場があり、広場の中心に枝垂れ桜があり、ロータリーとなっています。駅の広場の南へ200mほどの所を東西に国道457号(旧国道48号)が、仙山線と平行に走っています。また、駅前広場から南へ700mほどの所を現国道48号はバイパスとなって平行に走っています。

愛子駅の北側へ700mほどの所を清流広瀬川が流れています。

愛子地区は愛子駅を中心として、48号バイパスと広瀬川に挟まれた区間に東西に長く街並みが広がっています。愛子の地名の由来については、みやぎ会・平成18年夏号で高橋成美編集委員が紹介していますが、愛子の地名は、宮城町史によると「子愛観音」子安観音様に由来すると言われています。2001年に皇太子徳仁親王夫婦の長女愛子親王が誕生した時から、一躍有名になり、駅の記念入場券を購入する人が1,000人/日を越えたと言われています。中心地には、仙台市宮城総合支所や図書館等が入る広瀬文化センターなどの市の施設があります。平成13年頃に県道愛子停車場線がバイパスまで整備され、また、県道秋保温泉愛子線も整備され、錦ヶ丘方面を通って秋保方面にいく車両も年々増加しています。

また、愛子から少し離れた落合方面の48号バイパス沿いには区画整備事業も完成して、食料品の販売店、ホームセンター、ゲームセンター、パチンコ、ファミレスなど郊外型の中規模店舗等が立ち並び活気を呈しています。

教育施設としては、広瀬小学校、広瀬中学校や、仙台電波高等専門学校があります。

また、愛子地区は仙台駅から10km圏内で、高速道インターから5kmと比較的に近い位置にあり、交通のアクセスも良く、また、秋保温泉の玄関口とも言われ、心を癒す温泉も比較的近く住み良い街と思っています。

また、愛子周辺には宅地整備が多く実施されている、南方面では錦ヶ丘地区、北方面は赤坂、高野原、東方面には落合、栗生地区等で新築された住宅が目立つ。人口が急激に増加しており、広瀬小学校は毎年クラスが増え、仙台で一番のマンモス校となっています。このため、(仮称)愛子小学校の分離新設が計画されています。また、近くには、宮城広瀬(体育館 ・ 総合運動場 ・ 温水プール ・ 野球場 ・ テニスコート)総合運動施設が整備されています。

また、錦ヶ丘地区には仙台ヒルサイドアウトレットの商業施設や仙台市の新しい天文台が移設して平成20年7月の開館を予定しており、現在工事中です。

愛子地区には、愛子観音堂や諏訪神社等の名勝 ・ 旧跡も多い。また、景勝地としてサイカチ沼 ・ 月山池があり、ハイキングコースも整備されており、釣りや野鳥の観察・春先の芽吹きから紅葉まで,四季を通じて楽しむことが出来ます。

(記 八鍬 新治)

作並温泉

旧宮城町ポイント紹介

わが故郷(旧宮城町)憩いの地「作並温泉」を、19年春号では[作並温泉の歴史] と[作並温泉までのアクセス]について、みなさまにご紹介します。

作並温泉は、宮城県都仙台市の西方に位置し、奥羽山脈風倉山を分水嶺として流れ出る恵み豊かな広瀬川が下る川沿いにある、泉質:単純温泉、ナトリュウム、カルシュウム、硫酸塩、塩化物泉を含む良質な温泉があります。効能は次号で・・・

近隣には、平家落人伝説にまつわる「上義如来西方寺」が、1969年に建設された「ニッカウヰスキー仙台工場」、大小さまざまな滝が連なる「鳳鳴四十八滝」などなどの観光地を配して、作並温泉旅館組合の皆様がおいでをお待ちしています。

さらに、四季折々に変化する周辺山々の豊富な自然環境があります。こんな旅情豊かな仙台の奥座敷「作並温泉」へ四季を通じて日本全国から多くの観光客が訪れます。

交通網も利便性の高い東北新幹線が、北海道から九州地方の旅行者を真心こめてお迎えし、また、空の便で訪れるお客さんも、仙台空港駅から仙山線を利用し、作並駅までの間周辺の景色に見とれているうちに、まもなくの到着となります。

[ 作並温泉の歴史 ]

養老5年、奈良時代の高僧行基が奥州地方を行脚したとき、深山の作並地域で渓流の響きの方角から聞こえてきた仏法僧の鳴き声に誘われて、降り立ったところ湧き出す温泉を行基が発見し、湯浴みの方法を初めて里人に教えたと伝えられています。

また、文治5年(1189)に源頼朝が平泉討伐のため軍勢を作並に休めたとき、弓矢で傷ついた鷹が湯壷に入り傷を癒した状況をみて、自らもこの湯に入り連日の疲れを癒した温泉とも伝えられています。


[ 作並温泉までのアクセス ]

  • 鉄道

    東京・北海道方面から新幹線でおい出での方
    仙山線で仙台駅から約30分作並駅で下車
    (作並駅では、観光案内所の方が優しく案内してくれます。)
  • 自動車

    東北縦貫自動車道利用の方
    仙台宮城ICから国道48号線で約30分
  • バス

    仙台駅から利用の方
    仙台市営バス作並温泉行きで約50分
  • 飛行機

    仙台空港を利用の方
    3月18日に開業した仙台空港駅から仙台駅を経由して約50分

(記 平野 多田夫)

仙山線とは?

仙山線の生い立ち

仙山線、と聞くと懐かしい思いがあります。私が初めて仙山線に乗ったのは、昭和28年頃だと思いますが、父親の転勤で東根に行く時、家族4人で乗ったのが最初でした。その後、小学校時代に夏休みとかに仙台の親戚の家に遊びに来る際、何回となく利用しましたが、その当時は蒸気機関車で客車を引っ張っていました。冷房もなかったので通常は窓を開けて石炭のにおいとともに車窓から入ってくる風を受けて、山岳部では、木々の間から聞こえてくるクマゼミの声を聞きながらのんびりと走っていたものですが、面白山トンネルの中は大変でした。窓を閉めても入ってくる石炭のにおいと煤煙、それに走行音は轟音に近いもので、トンネルに入ってから出るまで耳を手でふさいでました。 そんな思い出のある仙山線の歴史を紐解いてみました。

仙山線は、昭和4年9月29日仙山東線として、仙台側の仙台〜愛子間(15.2km)が開業し、昭和6年に作並まで延伸されました。昭和8年10月には仙山西線として、山形側の羽前千歳〜山寺間(9.3km)が開業、昭和12年11月に作並〜山寺間(20km)が延伸開業したため、仙台〜羽前千歳間58kmが全通し、仙山線と改称されました。

宮城県と山形県の県境付近には、5361mの面白山トンネルがあり、この長大トンネルを克服するため作並〜山寺間は当初から直流電化されていましたが、昭和29年に北仙台〜作並間に日本初の交流電化が行われ、各種の試験を行っています。作並駅は日本初の交直流接続駅になり、交直流地上切り替えのための設備が設けられたり、日本初の交直流両用電車が試作され車上切り替えの試験も実施されています。ここで得られたデータや技術が以後の幹線交流電化や車両開発にも生かされ、現在の新幹線の成功にもつながっています昭和43年には作並〜山形間も交流電化に切り替えられましたが作並駅ホームには日本初の交流電化を記念する「交流電化発祥の地」の碑が建立されています。

山形河川国道事務所に通勤していた時、2年ほど仙山線を利用していましたが、興味があって面白山トンネルに入った時は、先頭車両の運転席の後脇の所で見ていましたが、一部素堀の箇所があったり、トンネルの中央付近では列車がすれ違い出来るようにトンネル断面が一部広くなり複線化されていました。興味のある方は仙山線に乗った時に一度見てください。ただし、いつでも見られるわけではありません。運転士さんが客席の照明がまぶしく前方が見にくいため運転席背後の窓に幕を下ろすためで、見られた方は運のよい方です。

仙山線は、全線が仙台市と山形市内にあり、途中で他の市町村を通ることもなく(奥新川駅の約700m先から面白山トンネル内の県境まで仙台市太白区を通るが駅はない)、県庁所在地同士を直接結び、かつその両都市のみで完結する鉄道路線は日本全国でもここだけのようです。また、仙台駅から奥新川駅までは15駅ありますが、旧宮城町内にはそのうち陸前落合駅、愛子駅、陸前白沢駅、熊ヶ根駅、(臨)西仙台ハイランド駅、作並駅、(臨)八ツ森駅、奥新川駅の8駅があります。

秋には良く新聞等で報道されますが、県境付近の山岳区間は勾配がきつく、車窓からは美しい紅葉が見られる反面、落ち葉によって車輪が滑りダイヤの乱れが起きます。

車輪が空転する状況が予想される時は、機関車が「落ち葉掃き列車」として運行されダイヤを守る努力がなされています。

(記 及川 公一郎)

トピックス

水が美味しく、豊富で空気がきれいな所にうまい酒あり

シングルモルトウイスキー"宮城峡"

過日、及川編集長と我が郷土にあります。ニッカウヰスキー仙台工場、宮城蒸溜所を取材してきました。ニッカウヰスキーの創始者 竹鶴政孝氏は4年の英国留学でウイスキーづくりのノウハウを学んできました。大正12年日本に帰り(株)寿屋で山崎工場を設立10年で契約を終え、昭和9年北海道余市で大日本果汁(株)として北海道原酒工場建設、昭和27年社名をニッカウヰスキー(株)に変更しました。昭和44年に宮城町に仙台原酒工場を建設し現在に至っています。

ニッカウヰスキー仙台工場
仙台工場
宮城峡
宮城峡

昭和37年、英国のヒューム副首相が来日したとき、「50年前、頭の良い日本の青年がやってきて、1本の万年筆とノートで、英国のドル箱のウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と当時の池田首相に言った話は有名です。また、竹鶴さんは英国からウイスキーのほか奥様も連れてきています。( 2006年10月21日 朝日新聞be掲載 )サントリーウイスキー山崎は前文の山崎工場の製品です。ニッカにおいても竹鶴35年物、余市、宮城峡 10年、12年、15年ものがあります。特に 宮城峡の原酒が平成16年「ザ.スコッチ.モルト.ウイスキー.ソサエティ(SMWS:スコットランドを本部とする世界的ウイスキー愛好家の会員組織)」から会員頒布用ウイスキーとして認定されました。SMWSは、その認定基準が極めて厳しいことで知られていますがニッカウヰスキー余市モルトが日本で初めて認定され、宮城峡モルトも続いて認定されました。

ちなみに宮城峡は平成15年から製品化され発売されてるそうです。郷土のウィスキーみんなで飲もう「ノメ ノメ ノン ニカ ニカ ニッカ 宮城峡」

※大日本果汁=ニッカ(仙台原酒工場脇を流れている川 新川川であるが社名とは関係ありません)川より後から工場が来ました。

(記 高橋 成美)