平成19年夏号(vol.6)
みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成19年ボランティア活動状況

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。なお、この活動につきましては東北建設協会の「みちのく国づくり支援事業」に採択され、傷害保険の支援を頂いております。

ボランティア風景 ボランティア風景

旧宮城町-私の住んでる町「落合」

落合地区について

落合地区は仙台市の西部に位置し、広瀬川(右岸)の段丘上に形成された住宅地であります。地区の南側には蕃山の山並みが走り、北側には広瀬川が流れています。また、町内の南東部を斉勝川が東流し、落合一丁目(山鳥橋)で広瀬川に合流しています。そして、町内のほぼ中心部を東西軸にJR仙山線、国道457号(旧48号)が走り、その南側を平行するように国道48号(愛子バイパス)が走っています。東北自動車道(宮城インター)に近く、自然が豊かで交通の利便性にも恵まれた地域であります。

「住居の表示変更」について

落合地区町内の「地名」は、現在落合一丁目から五丁目となっていますが、以前は下愛子(字)名であったのです。急激な人口の増加に伴う住居過密等により「地名」の複雑化に対応する措置として、平成12年「愛子地区」の一部で「住居の表示変更」が施行されたものです。ちなみに現在、私の住んでいる落合三丁目の以前の「地名」は、下愛子字滝の瀬でありました。

落合地区の大きな特徴は、JR仙山線「陸前落合駅」を囲んで県営住宅、県警察機動隊住宅、宮城消防署、その他各種の公的施設が多く集積されていることです。そして、その建設用地として活用された敷地が「宮城農学寮」の跡地であったことです。その名残か、緑豊かな樹木が数多く残っています。特に県営宮城広瀬住宅及び県立宮城広瀬高校の敷地内及び周辺に桜、ケヤキ、杉等の立派な樹木が集中して残っています。

「宮城農学寮」の跡地活用

「宮城農学寮」の跡地面積は約38ヘクタールとも言われ、その範囲は、JR仙山線「陸前落合駅」を囲み、東は県職員住宅より西は中小企業大学仙台校まで、南は国道457号沿い駅前広場より西はドコモサービス跡まで、北は広瀬川までと広大な敷地であったそうです。

しかしながら今は、各種の公的施設が建ち並び活気を呈しており、この跡地が地域の発展に効率的に活用されてきたと思われます。

主な公的施設を紹介しますと、教育施設では、昭和58年に県立宮城広瀬高校が開校し、平成3年には中小企業大学仙台校が開校されています。

医療体制では近年、地域における「開業医」等が増加し医療体制は極めて良くなっています。加えて交通網も改善され、市街中心部への通院なども容易になり救急体制も充実されてきていますが、平成9年の「宮城消防署」の設置により、さらに充実・強化されています。また、平成15年に大型医療機関「宮城県立こども病院」が開設しました。当病院は地域住民にとっても、また、難病の子供とその親たちにも久しく待ち望まれたもので、今後、少子化の進む将来に向けて極めて重要な施設であり、より一層の充実が望まれてます。

落合地区及び近隣の周辺では、近年「住宅団地」の造成、住宅の建築が急激に進んでいます。人口も増加する一方で高層マンションの建設も目立ち、仙台のベットタウン的役割を果たしているものと思われます。各スーパーショップ、娯楽施設、飲食店等が立ち並び地域の住民にとって利便さを増しています。

当地区は、仙台市の中心部へ約12キロと近く、JR仙山線、市営バス等の公共交通機関の利便性もよく、また自然にも恵まれた魅力のある地区であります。

さらに、落合周辺は緑が豊かで四季折々の季節が身近に感じられ、本当に素晴しい環境にあると思います。

「宮城農学寮」について、ご紹介します。

「宮城農学寮」は、昭和10年3月10日、前進の農民道場用地(未開の原野)を旧宮城郡広瀬村等から寄付を受け、当時の日本経済情勢悪化による農村の不況を克服する、経済攻勢政策の一環として創立されたものであります。そして、昭和52年4月「宮城県農業実践大学校」に改称され、昭和55年4月、その任を終えたとして名取市に移転されました。この間、日本の農民研修教育施設の中心的存在として、この使命を担い3千余名の卒業生に短期研修生を加え、実に延べ3万1千余名の人材を送り出したと記されてます。(記念碑)

農業の発展と文化の向上に貢献された先人の往時を偲ぶものとして、県立広瀬高校・校門前の「宮城農学寮跡記念公園」とJR仙山線の踏切名に残されています。是非、ご覧になってください。

(記 藤田 守雄)

作並温泉

前号より紹介しております作並温泉をつづけてご紹介いたします。

[どんな温泉宿があるの]

作並駅を下車してすぐに国道48号に出ます。国道を山形方面に右折して間もなく、仙山線のガードをくぐると左前方に巨大な対のこけしが、旅行客を迎えてくれます。

緩やかな上り坂を進むと、こんどは、桜の巨木が両側からトンネルをつくり、温泉においでのお客さんを快く迎えます。

桜のトンネルを過ぎると右前方に、山間にはちょっと大きすぎる地上17階、地下2階建てのリゾートHotelが目に飛び込んできます。ここが作並温泉郷の入り口です。

作並温泉には国道48号線に沿って、7軒の旅館・ホテルと1軒の日帰りのみの温泉があり、それぞれに特色あるお風呂がお客様を待っています。

[作並温泉周辺の観光スポット]

[温泉の効能は]

旅館・ホテルの源泉には、それぞれ名前つけられて、その効能は、神経痛、リュウマチ、関節痛、冷え性、美肌、婦人病、消化器系疾患に効果がある泉質であります。

(参考資料:作並温泉旅館組合パンフレット)

(記 平野 多田夫)

仙山線シリーズ - 葛岡駅

仙山線の思い出

私は、物心がついた時から 鉄道仙山線を目の前にして生活していましたので一番古い記憶ではボオーピョーオオと煙を上げながら走る蒸気機関車が前輪2連3連の迫力ある走りをしてました。

今の時代ではマニアが写真機持って構えそうな光景を毎日眺めていたことになります。汽車が通ると時間が分かり、たまに 何かの都合で汽車が遅れたり来なかったりすると今日何時の汽車が来なった等、話題になるぐらい身近でした。

私の家の前は線路と平行に防風林があり雑木林になっていて たしか、昭和30年頃の秋 その雑木林の落ち葉に火の粉が落ちて林が燃え出し、お袋や近所の人たちとスコップを持って駆けつけて消したことがあります。また、昭和36年から昭和39年にかけて通学のため、学校が休みでない限り毎日利用させてもらいました。(3年間無欠席で)駅までの約2kmは線路の枕木を歩き、急ぎ足の歩幅では狭すぎて1本置きで歩きました。

当時の汽車の中は殆どの人が顔見知りで 5〜6両編成の車両で後ろ2両は山形からの「かつぎや」と当時言っていた。行商の人たちで皆同じ大きさのブリキ造りの箱を持っていて、昼の帰りの車両に乗ると塩辛かったことから塩漬けの鯨や魚が多かったと思われます。時には、あんちゃん食べるかいと自分たちが食べていた茹で蟹の足等ご馳走になることもありました。

葛岡駅

旧宮城町に入って 最初の駅で仙台市青葉区郷六にあり無人駅で愛子駅が管理してます。駅周辺は北に葛岡霊園があり南東にマンション群があり、緩い坂を下っての段丘に郷六の集落があり広瀬川が流れています。近傍には東北自動車道IC(仙台宮城IC)・大梅寺・みやぎ霊園・葛岡清掃工場・市民プール・権現森温泉等がありますが、2004年度の1日平均乗車人員は435人で仙山線沿線では目立って少ないが、お盆や彼岸には葛岡霊園を訪れる人の利用でかなり多くなります。元々の郷六地区の人々は山の上に駅があるので旧国道を走る仙台市営バスを利用している人が多いようであります。駅舎に立つと広瀬川を中心に愛子盆地の入り口としての地形、集落が見渡せ非常に良い見晴らしとなっています。営林署にいた親父は葛岡霊園は国有林だった所を払い下げたことから、団地にしていたら南向き斜面で仙台駅にも近いし最高の場所だったと残念がっておりました。

(参考資料:JR東日本ホームページ)

(記 高橋 成美)

トピックス

水が美味しく、豊富で空気がきれいな所にうまい酒あり

前号より紹介しておりますニッカウヰスキー工場見学の続きをご紹介いたします。

続ニッカウヰスキー工場見学

前回はニッカ、シングル モルトウイスキー宮城峡でしたが、今回は仙台原酒工場を紹介します。昭和44年当事、水、空気、湿度、等のウイスキー造りの条件にあてはまる場所「夏涼しく、冬暖かな」適地を調査して決まったのが、宮城村作並の地でありました。敷地面積は東京ドームの3倍山々に囲まれ静かな里山で風光明媚なところです。工場建設にあたり出来るだけ造成前の樹木を残し、敷地内の電線架設を無くす(地下埋設)ようにした。また、元の地主さんが娘の誕生記念に植えた梅ノ木なども残しているとのことです。工場の中央には池があり、白鳥等の水鳥が優雅に泳いで餌をついばみ絵になるヨーロッパ風の工場です。

 

私は昭和45年頃、釜房ダムが工事中の職場でリクリェーションで大倉ダムと合わせて工場見学に行き、一緒にいった職場の上司が試飲室でベロン ベロンになって帰ってきた記憶があります。平成17年の工場見学者は約20万人で平成18年もほぼ同じぐらいの見学者になるそうです。

(記 高橋 成美)

 

津軽のオットウの丸投げ

盟酒一酔

ある日、青森弘前に行く途中のことでした。盛岡駅で弘前行のバスに乗り換えするとき、お昼になったので駅の立ち食いそばでも食べようと 店に入ったら私の前に65歳から70歳ぐらいの オットウが店のカアチヤンに「マガヘル〜」と言っていました。何か?・・・注文を待っていると美味しそうな海老天そばがオットウの前へ「なんぼだあ〜」と美味しそうに食べていた。「マガヘル〜」の意味がやっと分かりなんと楽しい会話であることに気がつきこちらもニヤリ、津軽のオットウは大らかであった。また受けたカアチャンもたいしたもんでありました。

観桜会幹事より(報告)

恒例の「みやぎ会」観桜会が、去る4月21日(土)に、いつもの所で、会長以下20名の参加のもと行われました。

例年より若干少ない集まりでしたが、和やかに懇親いたしました。

(記 田尻 勉)