平成25年夏号(vol.30)

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成25年ボランティア活動予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

活動は4〜9月の第4土曜日で、平成25年の活動予定日は下記のとおりです。当日は宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行う予定です。

ボランティア風景 
ボランティア風景

会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

健康に注意を

毎日の生活をしていく上で体のどの部分でも、不健康なところがあると大変なことであります。

自分の場合、月一回の通院加療は前立腺肥大であります。通院日には検尿をして健康状態を診てもらい健康に過ごしています。

次は、2ヶ月に一回の歯科診療であります。

先生から虫歯にならないよう目標を立てて、80歳まで健康な歯を20本以上残すように頑張りましょうと励まされて、25本の歯を残しています。

来年が目標の満年齢80歳です。虫歯にならないでさらに健康な歯を維持するように頑張ります。

次は雑誌に掲載された{中高年の病気目の病気}の記事であります。自分が今治療中の病名加齢黄斑変性が出てきましたので、ホームページご覧の方々にご紹介をいたします。

●こんな症状はありませんか?(自分には○が2個ありました。)

  • ○ 視界がぼんやり、かすんでいる
  • ○ ものがゆがんで見える
  • □ 視界の一部に見えにくい箇所がある
  • □ 目の中に糸くずのようなものが急に多く見える
  • □ 目を閉じているのに視界にピカピカと光を感じる
  • □ 今までと同じ光が、急にまぶしく感じられる

●見え方の変化に早く気づくために

  • 1) 必ず片目ずつで
  • 2) 毎日
  • 3) 決まった場所から決まったものを見るように心掛け、見え方の変化がないかをチェックしましょう。

●こんなふうに見えていませんか?(自分には○1個、□が1個です。)

  • ○ 視野の中心部がゆがむ、ぼやける
  • □ さらに進行すると視野中央のいちばん見たいところが黒くなってしまう

自分の状態は、眼科の診察では、2ヶ月に一回の経過観察との診断なので、雑誌の項目を点検しても、さほど悪くないと自己判断をし、眼科への通院を継続して病状の悪化を防ぎたいと思います。

(記  平野 多田夫)


古里コーナー

ふるさとの・・・「カツオ」

※ 「初ガツオ」・・・5月〜6月になると、土佐沖で取れた「初ガツオ」が、全国に出回ります。江戸時代の歌人、山口素堂の俳句 「目には青葉、山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」は有名です。

カツオは、暖かい海を好み、全世界の熱帯・温帯海域に広く分布します。日本近海では黒潮に沿って春に北上、秋、9月ころ気仙沼沖〜宮古沖に達し、その後、南下という回遊を行っています。

私のふるさとは、この土佐(高知)で、22歳まで居ました。子供のころ(50年ほど前)は、春になるとカツオ船が忙しく行き来していたのを覚えています。

土佐沖でとれる初ガツオは初物ということで市場価値が高く、昔は全国から漁船が集まり、その群れを追いながら近くの港に揚げていました。最近では漁船のスピードが早く一番高く売れる築地(東京)に直行するようです。

また、南洋ではたくさんのカツオ・マグロがとれ、当時は39t型かつお・マグロ漁船という小さな船で、フィリピン沖はもちろんインド洋、アフリカ沖まで取りに行っており、たびたび遭難事故がありました。今では大型漁船による船団を組み遭難騒ぎは無くなりましたが、200海里、マグロ規制条約などで、はかばかしくないようです。遠洋漁業のカツオは主に缶詰やカツオ節などの加工用になっています。

話を初ガツオに戻しますが、このころ(5月に)揚がるカツオは、さっぱりとした味で、おいしく、たくさん食べられます。私は、長らく(40歳ころまで)、これがカツオの旨さだと、思っていました。

特に、揚がったばかりの新鮮なカツオ(皮付き)を、自分で表面を炙って、いわゆるカツオのタタキにすると、中の身は切るまでやわらかい状態が長く続き、そのコントラストと中の身の食感が絶妙です。その時期・地域に応じたスダチ、ニンニク、しょうが、果実酢などを添えると、変化(バリエーション)も豊富に出て、また旨さを増します。(青森でも沖縄でも(東京でも仙台でも)そう思って、主にタタキをつくり食べていました)


※ 話は少し「みやぎ会」へ移動・・・

20数年前、JR葛岡駅が請願駅として追加設置され、土地を買いました。18年前、自宅を建て(わずか1ヶ月で東京へ単身赴任になりましたが)、この「みやぎ会」に入れていただきました。

そして15年前、(運良く?)宮古市役所に出向しました。国家公務員で無くなったため、現職とはいえ、みやぎ会の行事(懇親会・飲み会など)にも参加させていただきました。


※ 凄いぞ・・・三陸の「戻りガツオ」

三陸沖は今も世界三大漁場の1つです。市役所の仕事は東北地方整備局とは異なり、仙台にはさして用は無いのですが、沿岸の市町村とは、各種の協議会、同盟会、また持ち回りの関係会議等で、頻繁に行き来しました。

(市町村の行事は土日朝からが多いため本格的な単身赴任で)地元の方々と親しくなるにつれ、9月まで豊富な餌を食べ続け目一杯アブラの載った三陸沖の戻りカツオには、驚きました。

血合い(腹と背の間にある血の多い部分)までも身(腹や背)と一体になった全身ピンク色。アブラの載ったしっとりとしたマグロのトロのような旨み。

この時期、宮古や気仙沼には、土佐のカツオ漁船(団)が、たくさん入っていました。生食用のカツオは鮮度が価格を左右します。高速船で銚子港(千葉)に揚げるところもありますが、三陸の港に揚げ、三陸の町に泊まり、地酒も飲み、金も落とす・・・。

戻りガツオは、南下するにつれ、(エネルギーを使い)徐々にアブラが減っていきます。高知では、戻りガツオ(10〜11月ころのカツオ)といえば、旨くないカツオの代名詞でした。カツオもヘトヘトになってしまうからです。

最近の研究では、土佐沖に、カツオがとどまる領域があるそうです。温暖化の影響もあるのかもしれませんが、何も南洋の海まで下がる必要が無ければ良い事かもしれません。

※ この夏号が、皆様の目にとまる頃には、カツオが、銚子沖〜三陸沖で、豊富な餌をいっぱい食べ、どんどん旨くなっていくことと思います。

(記  大利 泰宏)

つぶやきコーナー

5月24日は何の日? 〜53年前に私の未来を決める原因となった日です〜

5月24日の朝、新聞をみて、私の記憶の糸が廻り始めました。

その紙面には「チリ地震津波 きょう53年」との見出しが出ていました。

昭和35年5月23日4時11分(以下すべて日本標準時)チリ中部沿岸に大地震が発生。

この地震の後23時間程を経て5月24日朝に日本の太平洋沿岸一帯に大津波となつて襲来し,各地に多大な被害を与えました。

津波の最大波は5時〜8時に発生し,その高さは岩手県野田・広田両湾では6m以上でした。

私は田舎の阿武隈川河口の荒浜に住んでおり、徒歩5分の目の前が堤防でした。小学生の私は何も解らずに堤防に上り、津波の引波で水が無くなり、その後波が押し寄せてくるのを見てしまったのでした。怖くて家に逃げて、しばらくして堤防を見に行ったら、堤防の石垣から多少水が漏れている他大丈夫でした。津波は2m程度でした。

その後、私の同級生のお母さんが教えてくれました。

私の同級生のお母さんは建設省の岩沼に勤めており、「今回の津波の被害が無かったのは、阿武隈川の堤防を丈夫に作って、長年に渡って管理をしている建設省のおかげなのよ」と。

小さい頃から阿武隈川の砂浜で水遊び、船遊び、魚取りをしてこられたのは、建設省のおじさん達のおかげだったのだと初めて知りました。津波の怖さがものすごく大きかっただけに、僕も大きくなったら建設省に行っておじさん達の仲間になろうと、心秘かに未来に向かって決意をしたのでした。

53年後の今日、まざまざと思い出されて、自分のこれまでを振り返えると、チリ地震津波以来、自分は地震・津波との格闘をずっと続けてきたのだという事が良く解りました。

高校の恩師の影響で建築の構造解析に取りつかれ、恩師の進めもあり、念願の建設省に入り、建築構造設計の担当となり地震に強い耐震性のある公共施設を多数造り、その後本省で新耐震施工の共通仕様書を作成し、その後は長寿命への維持管理・保全の仕事をやってきました。

その傍らでは、地震が頻発するたびに、応急危険度判定士として被災地の住宅の被災判定(赤紙張り)に奔走しました。平成7年の阪神・淡路大震災の時は1週間被災地に滞在して被災判定に頑張りました。

平成17年8月16日に発生した宮城県沖の地震において、仙台市泉区の「スポパーク松森」内の温水プール天井が落下した事故について、私も建築研究所の先生方と一緒に調査を行い、私が、壁面に残る天井の縁受けの衝突跡を発見して、斜めの振れ止めが設置されておらず、これが原因で有ることを発見できました。

その後天井内の斜めの振れ止め設置の通達が本省から出され、事故は少なくなりました。

定年直前に東日本大震災に会い、現在は被災した下水道施設の復旧に当たっていますが、これからの人生も、自分は地震・津波との格闘をずっと続けて、防災・減災に貢献をと、決意を新たにする今日この頃です。

(記  菊池 豊三)

トピックス

今年は、例年になく春先の天候が不順続きで、朝方晴れて暖かいのかな〜?と思っていると夕方から急に寒くなったり、3月初旬に聞いていた?ウグイスの初鳴きも、今頃になって元気な声が聞けるようになった気がします。

今日5月21日、素晴らしい青空と爽やかな風に、漸く春かな〜と思いながらランニング一枚で原稿を書いています。

去る4月20日、恒例のみやぎ会の花見会を開催いたしました。みやぎ会年度初め行事で、会員相互の近況を確かめ合い,親睦を図るための楽しみの集まりの場です。

大倉ダム湖畔

南の関西・関東方面からは、例年より早い開花のニュースが報道され、日程の設定を心配しましたが、東北仙台は特に寒い日が続き、当日も少し寒い位ながら花見にはぴったりの日和となりました。

会員50名の方にご案内したところ、13名の方から参加を頂き、楽しいひと時を過ごすことができました。特に今回は4月から新会員になりました「大利泰宏」さんの参加があり、大いに盛り上がりました。

お花見会の場所は、帰りの安全を考え近くの「茶々」での開催となりました。花見の初めの頃は、落合にある「大城」あるいは中華飯店「九龍」での開催が続きました。その後、定義の「清水館」屋外ステージでのカラオケ付きお花見、あるときは、「河鹿荘」で奥様同伴・団子ありの花見、またある時は、白沢にありました「奥仙台ホテル」での温泉入浴付きお花見、最近では秋保温泉「蘭亭」と長い歴史ある会員の情報交換と親睦の場です。

清水会長挨拶、2名の81才最高齢者のお祝いの「乾杯・乾杯」の音頭で、宴会に入りました。時間が進むにつれ、昔懐かしい東北各県の民謡、歌謡曲、そして高知県生まれの「南国土佐を後にして」?等々が飛び出し、久方振りに全員が青春時代に帰って大いに盛り上がりました。

次回開催の「芋煮会」での再会を楽しみに、一本締めでお開きとなりました。

(記  花見会幹事 高野)

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