平成23年夏号(vol.22)
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鳳鳴大滝 | ||
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平成23年ボランティア活動状況 | |
みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。 活動は4〜9月の第4土曜日で、今年の活動日は下記のとおりです。当日は宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行います。 なお、8月は「ルート48クリーン運動」に参加しますが、実施日は未定です。
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被災された皆様に 謹んでお見舞いもうしあげますとともに、
一日も早く復旧されることを 心からお祈り申しあげます。
11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード8.8(後に9.0に修正)の巨大地震がありましたので、みやぎ会のホームページにも歴史の記録として残しておきたいと思いペンをとりました。
気象庁によりますと、関東大震災M7.9などを上回り、1972年に日本で近代的な地震観測が始まってから最大の地震で、東北から関東にかけての広い範囲で津波や火災が発生しました。
栗原市では震度7を記録し、その範囲は東北を中心に北海道から九州にかけての広い範囲で震度6強を観測しました。
震源地は牡鹿半島の東南東130キロ付近で、震源の深さは約24キロであります。また、午後3時15分ころには茨城県犬吠岬の北東50キロを震源とするM7.4の地震が発生し、茨城県沖などを震源とする強い揺れを伴う余震が断続的に続きました。
東北・関東大震災の直撃をうけた東北では、岩手・宮城・福島3県の太平洋沿岸を中心に、津波や土砂崩れ、建物の崩壊などにより死者、行方不明者が多数に上りました。
宮城県内の主な自治体の被害状況 |
市町村名 | 死者数 | 行方不明者数 | 避難者数 | 備考 |
仙台市 | 680 | 180 | 1,968 | |
石巻市 | 2,964 | 2,770 | 8,776 | |
塩釜市 | 21 | 1 | 374 | |
気仙沼市 | 921 | 615 | 4,515 | |
名取市 | 896 | 150 | 944 | |
多賀城市 | 184 | 4 | 907 | |
岩沼市 | 178 | 8 | 346 | |
東松島市 | 1,029 | 740 | 2,663 | |
亘理町 | 250 | 23 | 1,177 | |
山元町 | 661 | 88 | 1,040 | |
七ケ浜町 | 65 | 11 | 699 | |
女川町 | 466 | 690 | 1,627 | |
南三陸町 | 510 | 664 | 5,258 |
注 5月10日現在 宮城県災害対策本部まとめ |
各自治体のがれき処理状況 |
県 | 市町村 | がれき推計量(万トン) | 搬入済み量(万トン) | 進行率(%) |
宮城 | 仙台市 | 135.2 | 42.1 | 31 |
石巻市 | 616.3 | 26.9 | 4 | |
塩釜市 | 89.1 | 11.9 | 13 | |
気仙沼市 | 136.7 | 34.9 | 26 | |
多賀城市 | 61.2 | 11.6 | 19 | |
東松島市 | 165.7 | 11.9 | 7 | |
亘理町 | 81.2 | 12.7 | 16 | |
南三陸町 | 65.5 | 3.4 | 5 | |
他7市町 | 245.2 | 71.9 | 29 | |
岩手 | 宮古市 | 116.2 | 19.8 | 17 |
釜石市 | 76.2 | 8.4 | 11 | |
大船渡市 | 75.6 | 11.0 | 15 | |
陸前高田市 | 86.5 | 14.6 | 17 | |
大槌町 | 76.2 | 8.4 | 11 | |
他7市町村 | 18.7 | 52.9 | 28 | |
福島 | いわき市 | 122.6 | 8.0 | 7 |
相馬市 | 46.7 | 0.5 | 1 | |
南相馬市 | 64.0 | 1.8 | 3 | |
他7町 | 54.3 | 1.3 | 2 | |
計 | 2486.9 | 348.7 | 14 |
注 5月12日現在 環境省調べ |
被災地でのがれきの処理が、足踏みしている。被災市町村では地元の雇用、経済対策を図って地元業者に処理を委託しているが、量が多くて作業が追いつかず、発生から2ヶ月以上たっても手つかずのままの所が目立つ。スピードアップに向け事業の国直轄化や大手業者の参入を求める声がでている。
宮城県では1年以内に一時撤去を、3年以内に2次撤去を終える方針のようですが、がれき処理は市町村の業務としているが、対応が困難なら県が代行するとしています。
毎日の新聞、テレビ等で被災者の避難状況や、一部で復旧、復興の動きの状況が報道されます。苦しいと思いますが被災者の明るい笑顔が周囲の人々に勇気を与えると思いますので、ご努力をお願いします。
(参考 河北新報)
(記 平野 多田夫)
東日本大震災で犠牲になられた皆様に深く哀悼の意を表するとともに、被災された方、そのご家族・関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
今回の震災で、防災エキスパート(*1)として2回にわたり計7日間活動する機会がありました。
1回目は、震災翌日の3月12日から4日間、国道の維持出張所に出動しました。地震発生後は通信手段が断絶し、被災状況やエキスパートの支援を必要としているかどうかもわからない状況でしたが、地震の大きさから多数の災害が発生していることが想定され、何らかのお手伝いができればと思い出動しました。
出動した出張所の管内では、通行規制を伴う法面災害が2箇所、その他路面陥没等が多数発生していました。災害復旧活動に不可欠な国道の交通を確保するため、出張所長を先頭に職員および業務委託職員、関係施工業者の皆さんが、文字通り不眠不休で対応に当たられていました。
ライフラインが断絶し、ガソリン・軽油などの燃料入手も困難なため、情報のやり取りや関係者の移動、資材の調達、機械の運搬や稼動などがままならい上、人・物・機械のすべてが不足したなかで、交通を確保しながら無事に応急復旧を成し遂げられたことに敬意を表したいと思います。
施工業者の現場責任者の中には、津波で自宅が流出し避難所から仕事に臨んでいる方がおられ、また、親族の安否が確認できない方もおられましたが、そうした中でも自らの任務に取り組まれるその技術者魂・仕事に対する責任感・使命感の強さに感銘を受けました。
2回目は、名取市役所の災害対策本部に詰めているリエゾン(*2)の後方支援として、4月13日から3日間出動しました。
名取市沿岸地区では、津波により多数の死者行方不明者が発生し、また広範囲にわたって冠水し捜索や復旧活動が困難なため、国土交通省が全国の地方整備局から排水ポンプ車を動員して排水作業を行っていました。
これらの活動を迅速かつ効率的に行うため、四国地方整備局から派遣されたリエゾンが市の災害対策本部に詰め、情報やニーズをリアルタイムに把握し活動の調整等に当たられていました。私の役割は、リエゾンに対し、地域情報の提供等を通じて活動の支援を行うことです。
リエゾンに同行して閖上などの沿岸被災地域に行きましたが、現実の被災現場を目の当たりにしたとき、テレビの映像とは比べものにならない大きな衝撃を受けました。被災地の一日も早い復旧復興を願うとともに、今後ともできるだけの支援をしていきたいと思っています。
公共土木施設等の整備・管理等に豊富な経験を持つ人が、大規模災害時にボランティアで災害復旧活動の支援を行う制度
地方公共団体等が行う災害対策を円滑迅速に実施するため、国土交通省の専門技術者で編成する技術支援チーム
(記 森山 清治)
平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。
城があったと知ったのは、森山氏の旧宮城町私の住んでいる町「熊ヶ根地区」VOL.13でしたから2年前でした。
大河ドラマの影響もあり、城主についても想像を巡らせたものの、立ち寄ることはありませんでした。
JR熊ヶ根駅舎に貼り出されている「宮城西探訪マップ」を目にしたことで思い立った次第です。
朽ちて倒れている標識が熊ヶ根城跡であることを示していました。
居合わせたお爺さんは、ここに家も建った道路も通った、教育委員会が来て城跡と知った。
たしかに、残された土塁からは城のイメージがわかない。後日、熊金と記述されたとか、居館であったとの説もあることを知りました。
探訪マップによると、関山峠が通じていなかった時代、当地区は山形と古川を結ぶ交通路であり、二口峠から、熊ヶ根、捻木道を通って大手門、大豆沢、下倉、夜盗沢、奥武士、宮床、吉岡を経て古川へ(岩手路)通じていたという。
城主は、国分氏の家臣、六丁目氏であるが記録は殆どないらしい。
南北朝時代に現れる国分氏は藤原姓で、国分郷を領し、戦国時代には近隣の土豪を従えて宮城郡から名取郡まで勢力を伸ばしていたという。
現在の仙台市都心部と周辺から、北は松森、山村(以上現在の仙台市泉区)、西は芋沢、愛子、駒ヶ根、作並(青葉区西部の旧宮城町地区)までの宮城郡南部を支配した。その一族・家臣は、郷六氏(森田氏)、八乙女氏、北目氏、南目氏、朴沢氏、鶴谷氏、松森氏、秋保氏、栗野氏、古内氏、坂本氏、白石氏、堀江氏など地名として伝わっている。
居城としては、千代城(仙台城の前身)、小泉城(若林城の前身または近隣地)、松森城が伝えられている。北で留守氏と対抗し、南の伊達氏と(1467〜1472)3回の戦があったと記録されている。
戦国時代の終わりに伊達氏から当主として国分盛重が迎えられ伊達氏に従属したが、盛重は、1596年に突如追放され国分氏は消滅する。(*2)
追放された盛重は佐竹氏に身を寄せ、伊達氏を名乗り秋田久保田藩の家臣として続いたようです。
さて、実の男子3人のうち、1人は伊達氏の家臣古内氏の養子に入り、古内重広として近世初期の仙台藩政を支えたというから、不思議な巡り合わせである。
隣接する「興禅寺」の和尚さんによると盛重の遺骨は八幡町の彌勒院にひっそりと埋葬されていたが、引き取り仏間に安置しているとのことです。
改めて資料をみると、平山城で城郭は、東西30間、南北50間、北辺には二重の土塁跡があり、東、南、西は河岸の断崖であり、優れた要害ぶりを誇示しているとある、まさしく戦いに備えた城で歴史を語る遺跡でもあります。
大倉川渓谷の対岸には、大原館(おおはらたて)もあった。
安永風土記(安永3年1774年)によるとこの館は、天正年間(1573〜1592)年の初め頃から国分氏の家臣、作並宮内が居住したところで、縦70間、横45間とある。
高台にあり、熊ヶ根城を威嚇するような位置にある。
若林区に六丁目との地名がある、両氏がどのように関わりあったのか興味津々。
*1 留守氏は豊臣秀吉の奥羽仕置で取り潰される
*2 国分の家臣は伊達氏直属となった
参考 「宮城西探訪マップ」
宮城西探訪マップ制作委員会
仙台市宮城西市民センター
(記 荒井 隆男)
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