平成27年冬号(vol.36)
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鳳鳴大滝 | ||
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平成26年ボランティア活動報告 | |
みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。 活動は4〜11月の第4土曜日で、平成26年の活動は下記の日程で宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行いました。
(リンク先に実施した活動報告を掲載しています。) |
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高野 正治
今年の干支は羊年とのこと、どのような謂われがあるか、図書館と本屋さんを何度か行き来して調べましたが、これぞと納得する本にはたどり着けませんでした。
十二支は、今から約3,500年前に中国でカレンダーとして考えられ,当時、字の読める人が少ないことから、人々になじみの多い動物を年号に割り当てたとのこと。
羊年生まれの人とは、どのような性格なのかを調べたら
(1)おとなしくて控えめで思慮深く、心使いの行き届いた温厚な性格のひと
(2)感受性が強く頑固で意地っ張りなところがあるひと 等々とのこと。
今年は、家内が何回目かの干支。あなたの性格とは、半分は似てないね〜と笑いました。
私も、いよいよ今年から後期高齢者の仲間入りとなります。
たまたま、中学生から高校生の頃、羊の仲間の山羊を飼ったことがあります。毎朝の乳搾りと配達、そして近くの原っぱに繋いできて、夕方連れ帰ったこと、時には逃げて姿が見えず探し回ったこと等、懐かしく思い出されます。
今年の抱負は、先ず健康を第一に、そして来年の新年も元気に迎えること!全く夢のない平凡な願いかな〜。
同級会、同窓会、何々会の集まり等々では、あそこが痛い、ここが悪いの話が中心となります。せめて、旅行だの可愛い娘ちゃんの話に、花を咲かせたいとこですよね。でも、自然に身体の話になってしまいます。
みやぎ会も発足20年を迎えました。年をとると無性に昔が懐かしく思い出されますね〜「毎朝満員の仙山線で通勤し、」「北仙台駅から本局までの通勤の道を、名前も分からず一定の間隔で黙々と通い続けたある日」→「顔合わせをしましょう!」という事になり、北仙台駅前の「養老の瀧」で顔合わせをしたのが、きっかけと記憶してます。
当初は「仙山会でしたから、山形からの通勤の方もおりました」。その後、平野さんをはじめ諸先輩の並々ならぬご努力により、今日の「みやぎ会」があり感謝致しております。当初は、現役も参加した集まりでしたが、いろいろなことがあって、現在のような「みやぎ会」となってます。
キミマロさんの言葉ではありませんが『あれから20年〜』会員も高齢化が進み、年々参加方も少なくなりました。最近は、「案内もいらないです〜」の返事に、本当に寂しい気持ちがします。億劫にならずに、是非とも「現役の頃の懐かしい話」「あの人はどうして居るだろう?」「こんな時は、皆さん、どうされているだろう」等々語り合いましょう。
先日、ある方の告別式に列席しました。親族のほかは、数人の方のみでした。自分の時は何人来てくれるだろうか。心の中で数えてしまいました。妻も私も、すでに両親はいないし姉一人、ヒャー数人か。
春の花見、夏の暑気払い,秋の芋煮、そして忘年会を、以前のように多くの方の参加で楽しい「みやぎ会」の集まりにしたいですね。今年の大きな夢の一つです!
そして、今年こそ人々が羊のように優しく、争いのない平和な世界になって欲しいですね。
本年も宜しくお願い申し上げます。
おわり
平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。
うちのお父さんは、今年91歳です。長男の私としては、心苦しいのですが、おかげさまで、両親とも(遠く離れた高知で何とか)自活しています。気が付いたら周りの親戚も、夫婦そろって2人だけで自活している同世代はいなくなってしまいました。
両親がそろって元気で長生きしているということは、私ら子供・孫、ひ孫・・・にとって、たいへん心強いことです。その一方で、自分たちもそれより長生きするべく、怪我をしないよう、また健康に注意する大切さを実践しなければ、と思うところです。
米寿(88歳)、卒寿(90歳)・・・と、最近、祝いを一族そろって催しました。対象者が徐々に増え(結婚すると倍に増え、さらにその子ができ)、それはそれは、楽しいのですが、私の息子は(沖縄で生まれたのに)就職して青森に、弟の息子は(北海道で育ち)就職して大分におります。皆が集まるのはたいへんですが、金と時間をかける分、いろいろあって楽しいことです。
高知では職場が限られるので若者は外に出ざるを得なく、人口はますます減っていますし、とうとう一人当たり県民所得は、沖縄を抜き、日本一(所得の低い県)になってしまいました。考えてみると私が出てきて、戻らないことが、まさに原因、発端になっていて、いわば加害者でもあります。
私が小学校6年生と中学1年生の間の春休み、お父さんに連れられて家族で鳥取県の大山で春スキーをしたのが、一家がいずれもスキーをした始まりでした。私が中学校を出て高専に入ると、今度は学校からスキーを(4人分)借りて、もう毎週のように、家族でスキー場に出かけていました(成人式の日もスキーに行ってました)。高知で、家族が全員、スキーがそれなりにできるのは、珍しい部類です。
これが影響してか・・・私は青森へ、弟は札幌へ転勤後、間もなく2人とも1級に合格、私は今も年間30日位(夫婦でスキークラブに入って、スクールで子供たちを相手に)、楽しんでいます。
毎年、シーズン初めに宮城県スキー連盟の研修があるのですが、最高年齢は今年87歳を筆頭に60歳以上が30名余り来ます。2日間の泊り(懇親会)を含めた研修ですが、皆しっかり2日間、研修をこなし、滑って帰られます。
今年91歳の父は、85歳まで働きに出ていました。それも、30kmほど離れた隣の隣の町へ(自転車と列車と自転車を乗り継いで)。若い人と一緒に働くと身も心も若く続く・・・と。
私も、もうあと25年は、現役を続けなければ・・・。
(記 大利 泰宏)
先月インターネットにこんな記事がありました。
「竹鶴」に「余市」 ニッカ、生産追いつかず…
ドラマ「マッサン」人気が影響?! ウイスキー市場を広げる効果も
ニッカウヰスキーの「竹鶴」など一部商品が、予想以上の売り上げ増で生産が追いつかない状態にある。 創業者、竹鶴政孝をモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」人気の影響という。もともとはライバルのサントリー酒類が仕掛けたハイボールブームで火が付いたウイスキー人気。今度はニッカが主人公となり、ウイスキー市場全体を広げている。
凄い影響ですね!!
朝通勤のため、朝ドラ「マッサン」は見られませんが、土曜日にたまに見てました。
内容が知りたくて、インターネットで調べたら、すごい内容に感動して、先日作並温泉の傍にあるニッカ工場に見学に行ってきました。びっくりの驚きの連続でしたよ。
今回は、私と同じように見てない人の為に朝ドラ「マッサン」の紹介をニッカウヰスキーのHPの「マッサンとリタの物語」からしましょう。(見学の時に了解を頂きました)放送は 9月29日〜2015年3月28日までの全150回だそうです。
「日本で本物のウヰスキーをつくりたい」。
果てしない夢に生涯を捧げた、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝
彼の傍らにはいつも、ひとりのスコットランド女性の姿がありました。
彼女こそ、竹妻の妻・リタ。
スコットランド留学中の竹鶴に出会ったリタは、
その真摯な情熱に魅かれ、彼と共に夢を追うことを選んだのです。
妥協することなく夢を追い続けた竹鶴。
愛をこめて彼を"マッサン"と呼び、共に生きたリタ。
ふたりの想いと情熱はニッカのウヰスキーづくりにしっかりと受け継がれ、
未来を切り拓く力として生き続けます。
"日本のより多くの人に本物のウイスキーを飲んでほしい。"
竹鶴政孝は、その情熱を胸に、大正7年(1918年)、24歳で単身渡英し、門外不出のウイスキー製造法を習得。
帰国後入社した会社で、日本で初めてのモルト蒸溜所の建設に尽力し、初代工場長に就任。その後ニッカウヰスキーを創業し、スコットランドの気候風土に似た北海道に余市蒸溜所を、仙台に宮城峡蒸溜所を建設。
本物のウイスキーづくりに人生を賭け、日本で本格ウイスキーをつくり続けたこの男こそ、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝である。
プロポーズの時「スコットランドに残っても構わない」と言う竹鶴に、「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と答えたリタ。日本の生活に溶け込もうと努力を重ね、漬け物や塩辛まで手作りした彼女を、人々は「日本人以上に日本人らしい」と評したほど。日本語の勉強にも励み、流暢な関西弁を操るまでになったが「マサタカサン」という発音が難しかったためか、竹鶴のことを「マッサン」と呼んだ。
今テレビの朝ドラでは、前半が終わり、後半の北海道でのウヰスキー作りのクライマックスに入りました。いよいよ初めての国産ウイスキー作りの難しさと出来上がりの凄さの幕開けです。
朝ドラの内容と感想などなど紹介します。
広島県の醸造家(竹鶴酒造)に生まれた政孝は、大阪高等工業学校の醸造科に学び、当時洋酒業界の雄であった大阪市の摂津酒造に入社し、やがて社長の阿部喜兵衛の認めるところとなり、スコットランドへ留学します。グラスゴー大学で学びながらキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所で実習を行ったといわれています。
スコットランドに滞在中、ジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)と親交を深め、1920年1月8日結婚。マッサン25才でリタが23才でした。若い運命の出会いですね!!
リタを連れて日本に帰国。結婚については実家の家族にも反対され、母親役の泉ピン子の"嫁いびり"が本当に凄いので、びっくりしましたね。
それでも、マッサンをリタが献身的に支えました。それは何故でしょうか。リタをそのまま日本語にすると、「利他」となり無私の意味になりますね。リタ自身も無私の人であり、マッサンの成功だけがリタの夢だったのです。『マッサン』における政春とエリーの関係も同じですね。偶然の一致でしょうか。ドラマですよ。朝ドラの醍醐味だと思いますが皆さん如何ですか。
社長の鳥井信治郎が大正15年6月、マッサンを寿屋に入社させる。
昭和4年マッサンが製造した最初のウイスキー『サントリー白札』(現在のサントリーホワイト)が発売されます。しかし、模造ウイスキーなどを飲みなれた当時の日本人にはあまり受け入れられず、あまり売れなかったようですね。
昭和9年4月、北海道余市町でウイスキー製造を開始することを決意(現在の余市蒸溜所)。ウイスキーは製造開始から出荷までに数年かかるため出荷までは当然ウイスキー製造による収益はないのだそうです。初めて知りました。そこでマッサンは事業開始当初は余市特産のリンゴを絞ってリンゴジュースを作り、その売却益でウイスキー製造を行う事を計画して、農家が持ってきたリンゴは落ちて傷ついたリンゴでも残らず買い取りしたそうです。
社名の大日本果汁株式会社の「日」「果」をとり『ニッカウヰスキー』と命名
皆さんご存知でしたか。ニッカの名前の由来を。私は知りませんでした。
作並の隣の新川(にっかわ)の名前から"にっか"になり、"ニッカ"となったと思っていました。仙台が初めではなく、北海道だったのですね。朝ドラを勉強して、工場見学をして初めて知りました。良かったです。
ウヰスキー作りの山、谷、川は凄いですよ。朝ドラで感動して下さい。
では、仙台工場発足について勉強しました。
昭和42年に新原酒工場建設候補地見学のため宮城県を訪れ、このとき突然のひらめきから、ある川の水でブラックニッカの水割りを作って飲んでみたところ、納得の風味を得ることができたので、その場でこの地に工場を作ることを即決したのだそうです。
凄いドラマですね!!
見学会でガイドさんが教えてくれました。
こだわりのウイスキーづくりのための水の良し悪しは重要な要素ですが、新川は雪解け水が地表面を流れて出来ているためミネラル分が少なく、湿気が多くて、ウイスキー本来の味わいを素直に引き立てるのだそうです。
宮城峡蒸溜所では、ご案内係がウイスキーの製造工程やニッカウヰスキーの歴史について丁寧にご紹介します。
緑豊かな自然景観をそのまま活かした工場内には、蒸溜棟やキルン塔、赤煉瓦の貯蔵庫、ゲストホールなどがございます。
見学費:無料
所在地:〒989-3433 宮城県仙台市青葉区ニッカ1番地
見学ご案内時間:午前9:00〜11:30、午後12:30〜15:30
見学所要時間:約60分(見学、酒類の試飲等)
ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所は、広瀬川と新川(ニッカワ)が合流する、豊かな自然に囲まれた場所にあります。まわりには、約1,200年前に発見されたという、歴史ある作並温泉。ドライブや散策が楽しめる観光スポットやレジャー施設が充実しています。
東北自動車道・仙台宮城ICより国道48号線を山形方面へ約25分。
蒸溜所では、見学後にウイスキーなどの無料試飲(お一人様3種商品を各種1杯まで)が出来ます。
未成年、お車を運転される方の試飲は出来ません。
ソフトドリンクをご用意いたしております。あらかじめご了承ください。
大変楽しい見学会でした。白鳥が場内の湖にいてびっくりしました。
無料試飲(お一人様3種商品を各種1杯まで)すごく良かったね。
おみやげに{地元産の新川伏流水仕込でシングルモルトの「宮城峡」}と{マッサンとリタの物語の「リタハイボール」と「竹鶴ハイボール」}と{ブランデー仕込甘納豆}などなどたくさん買い込んで来ました。うまかったね!!
みやぎ会の皆さん!! 旧宮城町の地元の観光名所になったので、ぜひぜひご覧になって、楽しんで下さいませ。
(* 工場見学の際了承を得て、本文の一部をニッカウヰスキーのHPの「マッサンとリタの物語」より引用させて頂いております。)
(記 菊池)
新年明けましておめでとうございます。
恒例の「みやぎ会」総会・忘年会を昨年の12月29日に落合にある某割烹にて開催しましたので報告します。
出席者は結果的に23名でしたが、足をお運びの会員の皆様方には感謝申しあげます。紙面の制約がございますので総会で確認等された事項について簡単に報告致します。
この活動は国道48号の清掃ボランティアプログラムですが、これまでと同様4月から11月までの毎月第4土曜日に実施することになりました。
集合場所や集合時間等詳細については別途「広報みやぎ(HP)」で明らかにします。
(担当 森山副会長)
これまでどおり年4回アップします。来年の冬号で40号の大台に乗り節目を迎えますが、何かセレモニーを企画する必要があると思っています。
いずれにしてもこの広報活動は、会員の皆様の絶大なるご協力がいのちですので、及川編集長からの原稿依頼があったならば真摯にお応え願えればと思います。
また、自主的な投稿もお待ちしています。
これらについてもこれまでと同様、実施することに決しました。
時節が巡って参りますが、担当幹事さんから案内状が届く手はずとなっておりますので乞うご期待です。お待ち下さい。
お花見担当の高野副会長さんは早くも場所取りにと、意欲をたぎらせておりました。
この件については12.29開催の是非について問題提起をさせて頂いております。
聖域だからこの日だけは絶対に動かせないという意見がある一方で、この日であるが故に欠を余儀なくされ、結果として脱会ということになるケースもございます。
もう少し柔軟対処は可能と思われますので改めて相談させて頂きます。
総会で確認等されたことは以上の通りです。これまでと同様のメニューを提供することが出来ることになりホッとしておりますが、会員の皆様方にお願いしたいことは、くれぐれも無理をなさらないで頂きたいと云うこと。ユックリズムでご協力を願えればと思っております。よろしくお願いいたします。
次に総会に引き続き行われた忘年会について記憶の範囲内で紹介します。
清水会長のご挨拶は総会時に頂きましたので、忘年会は即乾杯からでご発声は当会の顧問、菅原協会理事長から声高らかに頂きました。
昔からの仲間が23人も一同に集うわけですから盛り上がらない方がどうかしているわけで一気に佳境に達したところであります。
そして頃合いを見計らっての美人女将さんからの挨拶と『赤霧島』の差し入れ、加えて各人を巡ってのお酌、もうメロメロでした。
それに今回は、森山副会長さんを介して作並温泉「一ノ坊」から格安入浴券3枚が提供され、急拠アミダクジで当選者を決めるなどしたために妙に盛り上がり、彩りを添えたところであります(当選者:佐々木氏、荒井氏、島田氏)
なお、当会の宴会におけるメインイベントはなんと申しましても「歌の競演」であります。 カラオケなどあってもなくても関係ないのであります。
本来であればオープニングは高橋副会長さんの「藤あやこ」ショーということになるのですが、今回は風邪を召されたとかで欠でしたので、急拠高野副会長さんが日頃鍛えたノドで「秋田オボナイ節」を披露。ヤンヤの喝采を浴びたのであります。
それに浮田さん、荒井さん、大利さんと続き、菊地豊三さんも大声を張り上げ座を盛りたてておりました。
曲目も「北国の春」、「古城」・・・・・・
私はヨッパラウと記憶が飛び、全く自信ないのですが・・・・間違えていたらご容赦を・・・・・
そんなこんなでたっぷり2時間。とても楽しく過ごさせていただきました。
そしてなかじめは島田さんの3本ジメでお開きとしたところであります。
この総会・忘年会を最後に本年26年の行事はすべて滞ること無く終了しました。
今年(平成27年)は震災復興が進み、この東北地方に笑顔が戻ってきますように、そしてまた、会員の皆様方のご多幸を祈念してやみません。
今年もご協力のほどよろしくお願いいたします。
(幹事長 中村多喜夫)
編集委員会では、会員の皆様からの原稿を募集しています。
おもしろい話、地域の出来事等、ドシドシ、お寄せ下さい。まってまーーーす。
【問い合わせ先】
担当:及川 公一郎