平成28年秋号(vol.43)

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成28年ボランティア活動報告及び活動予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

活動は4〜11月の第4土曜日で、平成28年の活動は下記の日程で宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行っています。

(リンク先に実施した活動報告を掲載しています。)

ボランティア風景 
ボランティア風景

会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

田子倉ダムと奥只見ダム

目次

1.只見川(平成28年春号(vol.41)掲載)

2.二つのダム(平成28年春号(vol.41)掲載)

3.田子倉ダム(平成28年夏号(vol.42)掲載)

4.奥只見ダム

5.只見線物語(平成28年冬号(vol.44)掲載)

6.おわりに(平成28年冬号(vol.44)掲載)

4.奥只見ダム(おくただみだむ)

奥只見ダムは田子倉ダムの上流ですが、このダムから簡単には行けません。日を改め、10月の初旬、体育の日の連休を利用し、今度は家族旅行として出かけてきました。

1日目は、仙台から東北新幹線、上越新幹線を乗り継いで浦佐駅へ、そこから小出まで上越線で行き、小出からは路線バスを利用します。その日の宿は湯ノ谷温泉郷の大湯温泉街の某旅館です。翌朝、奥只見ダムへ向かうことになります。旅館はバス停から近い場所にあります。温泉街そのものがやや寂しさを感じるところです。

浦佐から奥只見ダムまでの特急バスが1日2往復運行していて、この大湯温泉にも停車します。朝の便のバスに乗車し、奥只見ダムへ向かいます。同じ宿に宿泊した男女2組と私の家族3人が乗り、車内には乗客の男性1名がいました。奥只見ダムへは約40分ほどの行程です。

大湯温泉から奥只見ダムまではほとんどトンネル区間の道路を行きます。シルバートンネルと名付けられた、かつての工事用道路、その後は県に引き継がれ、主要地方道として利用されています。小出側には料金所ゲートがありましたのでかつては有料道路だったようです。この道路のトンネル断面は幅員6.5mで2車線道路です。トンネル内幅員6.5mはやや狭く、大型車両のすれ違いは注意が必要です。幸いにもこの日は対向車線を走る車はほとんどいませんでしたので、バスの走行スピードも上がり、予定時刻より早めに到着しました。

前日夜半の雨降りが一転して晴れ上がり、風もなく穏やかです。電源開発奥只見電力館の関係者の話によると、「こんな良い天気は滅多にない。これから紅葉シーズンが本格化するが、天気次第ではアノラックが必要になるほど冷えるし、眺望もきかなくなる。」そうだ。ダムサイト周辺の紅葉は最盛期にはやや早いころですが、遠くに見える山頂〜山腹は紅葉の見頃期でした。

【 写真−6 銘板(1) 】
【 写真−6 銘板(1) 】
【 写真−5 ダム天端広場 】
【 写真−5 ダム天端広場 】

10月の3連休の最後の日とあって、午前9時過ぎなのに客は集まってきていました。ダムの下流、左岸側の広い段丘面に拡がる駐車場やバス停、食堂、土産売り場が並んでいます。ダムの高さは157mということでしたが、駐車場の位置がダム高の半分ほどの高さとなっているようなので、そこからの展望では数値どおりの高いダムには見えません。ダムの姿全体がこの展望位置からでは見えにくいこともあるのでしょう。V字谷のダムサイトに建設されており、ダムの下流面は逆三角形の形状になっています。

【 写真−8 奥只見ダム 左岸電力館より 】
【 写真−8 奥只見ダム
            左岸電力館より 】
【 写真−7 銘板(2) 】
【 写真−7 銘板(2) 】

天端までは登山路のような歩道を登ります。歩いても5分程度ですが、勾配がきついので、これが辛い人や嫌な人はロープカーが利用できます。妻と息子はこれを利用し、私は歩道を歩きました。ちなみにロープカーの料金は片道100円です。運行時間による待ち時間など考慮すると歩いた方が早いです。

【 写真−10 奥只見ダム上流面 】
【 写真−10 奥只見ダム上流面 】
【 写真−9 奥只見ダム下流面 】
【 写真−9 奥只見ダム下流面 】

奥只見ダムの堤体は附属構造物が少なく全体にシンプルです。右岸側に洪水吐ゲートがありますが、規模は小さく(2門)、シンプル過ぎて、黒部ダムのようなゲートを使った観光放流というのはあまり絵にはならないでしょう。

下流面を見ると、横継ぎ目箇所から草木が生えています。また、方位でいうと下流面は北側方向になり、陽があたらない面になります。このためか、左岸側のアバットに近いブロック下流面には一面にこけが生えており、中央部のブロックでもあちこち散見されます。

ダムの天端幅は歩測すると7m程のようです。高欄は田子倉ダムと同様にコンクリート壁の上面は傾斜がついています。ただし、コンクリートの劣化度はこちらの方が進んでいます。標高も高く、冬季の寒冷度も田子倉ダムよりは厳しいのでしょう。標高差にして250mほどあります。その天端は越流部までは歩いて行けますが、その先は通行禁止の立て札があります。禁止区域にエレベータシャフト、ガントリークレーンが見えます。

左右岸のアバットメントの地山には格子枠玉石詰めの保護工が施工されていました。基盤が良くて、アバットメントの地山斜面の保護工なしというダムもこの時期に建設されたダムには多いようですが、この奥只見ダムには保護工がありました。

ダム管理所のような建物は見当たりません。発電所の運転等は埼玉県で遠隔、集中制御していると説明板にあります。ダムより上流の左岸側に遊覧船の船着き場があり、電力館という広報施設は左岸斜面の途中に建てられています。これも坂道を5分程度登るのですが、施工時のケーブルクレーン設備の設置場所だったのでしょう。ここまでは電発の用意したマイクロバスが往復し、見学者の足となっていました。

【 写真−11 奥只見ダム慰霊碑 】
【 写真−11 奥只見ダム慰霊碑 】

電力館の敷地にはダム・湖がよく見える位置に慰霊碑が鎮座していました。犠牲となられた人は44名だそうです。

電力館にはダムと発電所の紹介パネルが展示されています。妻と次男は1階の子供向けビデオを見たのですが、一般の客には分かり易いと言っていました。2階では8分程のダム建設の記録映画が上映されています。30分の映画をダイジェストしたようで、30分の本編を見たいという人は希望すれば見ることができるようです。ダム建設乗り込み時の場面では、褌姿の男が河川(只見川)に入って作業する光景も見られます。ダムサイトの掘削は坑道発破で行われ、爆発とともに斜面の岩盤が見事に川底へ落ちていく様子も映し出されていました。当時の最新技術を駆使して施工されたダムのようで、柱状ブロック工法、パイプクーリング、ダムコンクリートはバイパックを使用して締固めされていました。田子倉ダムに関しては電力土木のバックナンバーを検索すると何編か工事報告が出てきます。奥只見ダムに関しては騒動があった電源開発計画に関するものや、再開発に関係する資料は多いのですが、ダムの設計施工についてはあまりありません。しかし、田子倉ダムも奥只見ダムも同様の技術で建設されたのでしょう。

奥只見発電所は田子倉ダムと異なり、地下式発電所なので、発電施設は見えませんが、左岸下流遠くに変電所が見えます。田子倉ダムもそうですが、大規模な水力発電施設にはそれ相応の大きな変電所が併置されています。

奥只見発電所は当初の最大出力36万kw(田子倉発電所は38万kw)に加えて20万kwの発電機を増設しています。揚水式発電所を除き、日本一の水力発電所だそうで、2位は田子倉発電所ということです。長らく田子倉発電所が第1位だったのですが、増設によって奥只見ダムが1位に躍りでたということのようです。この増設に関する報告については電力土木誌上に何回か掲載されています。既設堤体への穴あけ管路の敷設、取水口仮締切、イヌワシ保全対策、等々技術的課題を解決して施工されたようです。

遊覧船も尾瀬へ行くコース、銀山平というキャンプ地(昔は銀山だった)へ行くコース、尾瀬へ行くコースの途中までで折り返す周遊コースの3コースがあり、周遊コースは結構大きな船を使用していました。銀山平コースに乗船しましたが、100名乗船可能な船にこの時は客は6名ほど、一方、周遊コースには数十名人はいたろうか、という賑わいでした。同じ宿を出た1組の夫妻は同じコースを、もう一組は尾瀬へ向かうコースに乗船しました。

乗船した遊覧船のガイドでは、貯水池の形状は手の形に似ているという説明がありましたが、支川筋は奥が深く、長い延長です。ヤツデの葉の長さをさらに細長くしたような貯水池形状です。

【 写真−12 奥只見湖と越後の山々 】
【 写真−12 奥只見湖と越後の山々 】

遊覧船から望む山並みは越後山脈に連なるものです。日本百名山、あるいは二百名山に数えられる山が多く、遊覧船からは見えませんでしたが、日本酒で有名な八海山も近くに聳えているようです。

銀山平はその名のとおり、江戸時代、島根県の石見銀山と並ぶ銀山がかつてあった場所だそうです。現在はキャンプ地などがある野外活動の場所として整備されていますが、客人はこの日は余り見かけません。船着き場には土産物売店、近くに地酒屋がありました。

銀山平からは高速バスで浦佐へ向かいます。往路と同じくシルバーラインを通っていきます。往路は早朝ですので奥只見から来る対向車はほとんどありませんでしたが、復路の時刻はお昼前後の時間帯で、トンネルの中では奥只見ダムへ向かう乗用車とのすれ違いが多く感じました。道路線形がきついのでバスの揺れも大きく、体調によっては車酔いも起こすほどのバスの旅でした。

浦佐から大宮、大宮から仙台までは往路と同じように新幹線を乗り継ぎ、ゆったりとした行程で仙台に無事到着しました。天候に恵まれたこともあり、家族も満足したようでした。

(参考文献)
4.奥只見ダム
(14)奥只見発電所新設道路工事について  鈴木勇  発電水力No.29
(15)奥只見ダム堤体基礎掘削における大規模爆破について
                    佐藤忠五郎  発電水力No.37
(16)奥只見・大鳥発電所増設計画の概要
                    塩田洌、小松俊夫 No.288電力土木 2000.7
(17)奥只見発電所増設計画 取水口仮締切の設計
            橋本長幸、栗原哲、杉本俊介  No.295電力土木 2001.9
 

記 島田 昭一

仙山線〜在来線への想い・・・残そう・使おう・全国につながるマイレール

◇仙山線は、おらほの宝

仙山線は、土木遺産になっています。仙山線の技術が新幹線を作った、あるいはトレッスル橋など、明治時代から造られた橋梁やトンネルが今もそのまま使われている・・・というところが、評価されたようです。

そもそも「みやぎ会」の発足は仙山線のおかげ・・・。(HP・みやぎ会の生い立ち・参照

面白山トンネンルは、長さ5,361m。戦争の足音が近づく中、延べ50万人が投ぜられ、わずか1年半足らずで貫通(驚く異例の速さ)。両坑口には転車台が現存、また、トンネル内に列車交換ができる信号所(避譲施設)があります(トンネル内でレール音が変わるところ)

◇鉄道ファン(鉄っちゃん)の世界

「乗り鉄」、「撮り鉄」(列車や鉄道施設をカメラで撮るファン)、「降り鉄」(駅で降りて周辺を散策するファン)。鉄道への熱意度を「鉄分」といい、これが全く無い人を「非鉄」。

「隠れ鉄」・・・普段は鉄道ファンではないふりしているが、本当は結構ハマっている (私)

「青春18キップ」、今でも使っています。1日2千円ほどで、普通列車ならどこまでも乗車できるものですが、仙山線で朝5時半に出ると24時に大阪・神戸あたりまで行けます。仙台〜高知は、2日分必要となりますが、それでも5千円足らず(約30時間)。 普通列車の旅は、沿線の経済や文化を感じられます。生活圏が分かれるところも、よくわかります。

在来線の弱み・・列車事故・踏切での衝突、天気や線路への侵入などで遅れや運休・・・と。でも仙山線で鍛えられています。

◇在来線の赤字・廃線(危機)・・・残そう・使おう・全国につながるマイレール

S61国鉄改革(分割民営化)で全国均一サービスは終焉。赤字路線は廃線へ。新幹線が延びると並行する在来線が廃止(移譲)、東日本大震災では、山田線・釜石線の移譲、大船渡線・気仙沼線の廃止(BRTへ)。JR西日本では、この9月、三江線(108.1km)を廃止を決定。三江線は、島根県江津市〜広島県三次市を中国山地を横断して結ぶ、ちょうど仙山線のような路線です。仙山線は、仙台駅〜愛子駅間は微増ですが、愛子〜陸前千歳間は逆に減少。仙台〜愛子間だけ、生き残ればよい・・・というわけでは無く、東日本大震災を経験し、ネットワーク、つながっていることの大切さを体験した私たちです。

選奨土木遺産、誇り高き仙山線は、面白山トンネルあってこそ・・・なのですから。

記  

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