平成19年冬号(vol.4)
みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
年頭の挨拶

みやぎ会 会長 菅原 政一


みやぎ会の皆さん、新年あけましておめでとうございます。晴れわたった青空にご来光を拝み、清々しい気持ちで新年を迎えることができました。

みやぎ会ができたのは、会則の施行日が平成7年12月ですから、もうかれこれ10年を超える歴史を刻んできたことになります。この間会員皆様のご協力により、年々着実に活動を積み重ねて参りました。その一つが平成8年から行っている、ボランティアによる道路清掃活動であります。平成13年の仙台河川国道事務所長の表彰に引き続き、昨年、東北地方整備局長表彰を頂きました。我々の地道な活動が認められて、大変うれしく思っております。今後も地域の為に少しでもお役に立てるような取り組みを進めて参りたいと思います。

ところで、我が国の社会資本整備は、他の先進国と比較して、GDPに占める割合が大きいからという理由で公共事業が削減されてきており、大変厳しい状況下に置かれております。西欧諸国が紀元前のローマ帝国の時代から営々と整備を行ってきた、重層的な歴史的を完全に無視した議論がなされ、まだまだ必要な社会資本整備がなおざりにされる現状には、はらただしい思いがします。我々もこのよう社会の趨勢に対し座視していいのか、という思いに駆られますが、世論を動かすだけの手段が無いのが大変残念でなりません。限られた選択肢の中で、我々一人一人ができること、つまり、小さな一人一人の力を暑い夏に向けて結集することが大事なことだと思っております。

このようなことも、国の財政事情が大変厳しいということに由来しており、景気回復による経済成長が待たれるところであります。幸い平成14年2月からの景気回復が続いており、これが着実な経済成長をもたらしてほしいものです。「日はまた沈む 」を著したビル・エモット氏が最近の著作「これから10年、新黄金時代の日本」のなかで、日本の技術力と力強い経済の足取りから、今後しばらく日本の経済成長が続くであろと指摘しているように、活力のみなぎる時代の再来を予感させられるところであり、公共事業の必要性について、再認識される時がまたやってくるものと思っております。

今年も、みやぎ会の目的達成のために、総会で決議された平成19年度の事業をしっかりと実施して参りたいと思いますので、会員皆様方の積極的な参加をお願いし、年頭にあたっての挨拶といたします。

みやぎ会の活動
平成18年ボランティア活動状況
ボランティア風景 ボランティア風景

** 実施された活動状況の写真をご覧になるときは日付上でクリックして下さい **

母なる広瀬川

平成18年夏号・秋号に引き続き広瀬川について、高橋成美さんが引き続き流域沿岸の姿を紹介します。

折立

生瀬橋は、昭和14年4月に架けられた橋で国道48号の広瀬川に架かる、最初の橋であり、小学生のころ、仙台から帰るとき家の近くまで来たなと感じたものでした。いまでは、北環状線新生瀬橋、東北自動車道権現橋と3橋も架かっています。 バスが埃を巻き上げながら愛子方面に走っていた当時が思い出されます。 また、橋下流に四ツ谷堰があり水量豊かにながれています。この付近では時々カモメが舞っており、海からそう遠くないことが分かります。 (四ツ谷堰、伊達政宗が川村孫兵衛に命じて、設計工事に当たらせたもので、八幡町を経て仙台城下に配分して防火用水と排水用とした。)

開成橋下(ダルマ石)

橋の上から直下流を見ると達磨石がドーンと存在しています。私の中学生のころは開成橋は達磨石より低い位置にあり秋の写生大会は橋の上から皆で達磨石を描いていました。 (絵ごころのある人は今でも絵になる石です1度は見てください。)

鳴合温泉

広瀬体育館から大沢赤坂に行く道で、昔はつり橋にゆらゆらゆられて対岸に渡っていた。その後コンクリート橋に架け替えられて橋の長さも倍ちかくになり景観も高くなり高所から見る渓谷となっている。鳴合温泉宿から見る渓谷は絶壁があり素晴しい景色で、私が水泳を覚えたところです。今も泳げる水か?

広瀬町変遷
広瀬町変遷

七ツ石

広瀬体育館の裏道を約500m程上流に行き、河床に下りた所、今は道路が塞がれて簡単に行けないようであるが、昔は、営林署の揚水ポンプが在り道路が切られていた、小学4,5年生の遠足がここでした。巨石の転石がゴロゴロしていて、あたかも恐竜に囲まれているようでした。(非常に心休まる良い所です)

柿崎橋

昭和46年4月のコンクリート橋で美景な橋であるが欄干が低く、渡るとき恐怖感が起きるが、上流、下流の渓谷美が良い所です。

熊ヶ根橋(鉄道橋)

JR仙山線鉄橋と国道48号のアーチ橋が平行に架けられており、昔JRの鉄橋は日本一高いと言われていました。鉄橋の上を歩いた記憶がありますが、今は歩けないです。この橋の下に昔の道路が今も残っています。下を通って橋を見てください。高いです。

鳳鳴の大滝

作並ハイランド入り口の直上流にあり最近手打ちそばの店ができ大駐車場もあり、歩いても1〜2分で大滝(大瀑布)音と飛沫がものすごいです。

大堀橋

大堀橋を知っている人は殆んど居ないと思われますが、川を語るには登場してもらいました。交通は徒歩または自転車の時代ですが、今の大堀発電所、大堀地区の人々が利用していました。水勢工法の牛枠の上に角材を渡しその上を歩く橋でした、天気の良い水の流れの穏やかな日は水ながめながら楽しく渡りますが、洪水のときは怖いくて渡れない橋でした。(大堀発電所・・西仙台病院下流)

動脈たる国道48号

平成18年夏号・冬号に引き続き国道48号について、八鍬新治さんが引き続き熊ヶ根駅から作並温泉の区間を紹介します。

熊ヶ根駅〜作並温泉

熊ヶ根駅を通り、鳳鳴こ線橋を渡り0.5kmほど進み交差点を左折すれば仙台西ハイランドへ、交差点を少し進めば鳳鳴四十八滝の景勝地・1.5km進み交差点を左折し、ニッカ橋を渡ればニッカウヰスキー仙台工場があり、緑豊かな敷地に赤レンガの工場が建ち並び異国情緒たっぷりの景色を見ることができる。又一方右手にはロッククライミングで知られる鎌倉山そびえたつ。やがて右に作並駅への入口があり、駅の下りホームには交流電化発祥地の碑と説明板が立っている。

作並温泉近くから左折して狭い坂道を進んで行った先に奥新川ライン・新川ラインあり、奇岩や大小の滝、渓流沿いにはハイキングコースやキヤンプ場湧水箇所もある。

湯渡戸橋を渡りこの付近から作並温泉の宿があり、泉橋付近まで続く。

作並温泉は広瀬川沿いの温泉地で、国道沿いに点々と建つ宿は、ひっそりとした雰囲気で仙台の奥座敷として親しまれているところです。

作並温泉を過ぎると途中には仙台河川国道事務所の除雪ステーション又、道路の両サイドには車両の駐車スペースが点在している。急カーブ・急勾配の道路が関山トンネルまで続いている、雨の日や冬季間の運転には注意を要する区間である。

**参考資料**
1 )「みやぎの国道をゆくみちずくりと沿道の歴史をたずねて」 著者 野村和正
2 )仙台西国道維持出張所事業案内パンフ
3 )作並温泉ホームページ

旧宮城町 - 私の住んでる町「国見ヶ丘」

隣接する「貝ケ森」「中山」は旧仙台市エリアなので、旧宮城町最東北部に位置しています。南西部に隣接する「吉成」は、ここよりも早い分譲がなされ、既に住宅地が形成されていました。
元々は山であり、旧住所は、宮城町芋沢字吉成山となっています。
私がここを知ったのは、吉成に今も住んでご厚誼いただいているT先輩のところに遊びに行っての帰り道、「今ここを区画整理組合で造成中だから申し込んでみたら。」と言われたのがきっかけになります。
ちょうどこの頃、栗生の区画整理も進められており、どちらがいいかの比較検討にいささか迷いました。
国見ケ丘という地名の由来は、もちろん「国見」から関連命名されたことは想像に難くありません。
その国見については、おおよそ次のような紹介がされています。

半子町から旧宮城村大沢へ通じる道を「国見峠」と呼んでいた。標高約230m、峠からは仙台市街地はもとより、名取耕土なども広く展望できることから「国見峠」と名づけられたものと思われる。峠の西南には「権現森」、西北には「吉成」の地がある。かつて藩主が鹿狩りをした地である。

この由来にも出てくるが、旧行政区は大沢で、今でも郵便物の不在の取り扱いなどはその名残があります。

昭和61年に保留地処分地を抽選で購入し、平成元年から住んでいますが、この周囲は建売でなかったので家がまだ点在する程度で、家の前の電線のあたりに、遠く仙台湾を行く白い旅客船が見えたりしました。
また、その後程なく建った観音さんで毎年花火を上げて絶好の景観でしたが、住宅の密集とともに音だけになってしまいました。
どこの住宅分譲地も同様ですが、ここ国見ケ丘もあんなに子供が大勢遊んでいたのに、今は見かけることが少なくなってしまいました。
一方、活況を見せている「北環状線」と言われる折立〜八乙女線沿線ですが、平成元年当時は、まだ全線が途切れており、現在中心的商業エリアとなっている南吉成地区は未整備状態でありました。
近年の変貌にはまさに今昔の感があります。
ところで、国見ケ丘から最も近いJR駅仙山線の国見駅に八幡町のはずれから上がってくる古くからの坂がありますが、はじめ私は「鰻坂」と思っていましたが、どうも本当は「うなり坂」だということで覚えていました。
やっと真実がわかったので紹介します。

仙台開府事業をひと通り終えた正宗の後を継いだ忠宗が仙台城二の丸の造営にとりかかった際、当時は国見峠付近から仙台石が産出されており、築城に用いられた。
石は牛の背に積んで、坂を下り、牛越橋を通り川内まで運搬された。
坂を上り下りする牛が重荷を背負ってうなりながら歩いたので「うなり坂」となり、さらに、雨の時には滑るので鰻のぬるぬるを彷彿させることからなまって「鰻坂」となった。

とのことであり、どちらも正しいようです。

(記 田尻 勉)

芋煮会幹事より(報告)

恒例のみやぎ会芋煮会が、去る平成18年11月21日(土)に17名の参加で行われ親交を深めました。尚、みやぎ会の道路愛護活動による愛子バイパスの歩道等の清掃作業により、道路環境の良好な保全に努めている事に対して、東北地方整備局長表彰を受賞したことを清水副会長から報告がありました。

(担当幹事:八鍬)

平成18年秋の叙勲

「瑞宝双光章」綬章 おめでとうございます。 みやぎ会の会員であります細谷義昭様が、このたびの秋の叙勲において建設行政事務分野での長年のご功績が認められて、栄えある瑞宝双光章を11月3日に綬章されました。
なお、瑞宝章は公務等に長年にわたり従事し、成績を上げた方に授与されるものです。