平成26年秋号(vol.35)

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成26年ボランティア活動予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

活動は4〜11月の第4土曜日で、平成26年の活動予定日は下記のとおりです。当日は宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行う予定です。

(リンク先に実施した活動報告を掲載しています。)

ボランティア風景 
ボランティア風景

会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

朋あり遠方より来たる、亦楽しからずや

去年傘寿を過ぎた。昨夏大病を患らい生死の境を彷徨った。そのとき以来、懐かしい故人が夢に現れるようになった。そろそろ身辺整理の時期が近づいているのだろう。

20年間文通してきたポーランド女性に訪日を促してみた。彼女はかねてより美しい日本を訪れたいと言っていた。今年の2月末に来日計画が具体化し、5月8日から11日間の航空券を予約したと連絡があったので、案内地の検討を始めた。

まず、県内の津波被災地、札幌、白老のアイヌ部落、函館、広島、京都、東京を案内することとした。その為、津波被災地を私が、北海道方面はM婦人、西日本と東京をK婦人が案内する事と役割分担を決めた。

Mさん、Kさんは英会話教室のクラスメートである。ところが4月5日に彼女のお父さんが亡くなったので来日できるかどうか分からないとEメールが来た。早速お悔やみと同時に生前のお父さんも貴女の訪日を喜んでいらっしゃったのですから悲しみを癒やす旅行にもなるでしょうと手紙を送った。

数日後、「母の了解を得たので来日を決意しました。但し、日程が8日間に詰まりました。」と返事が返ってきた。北海道旅行をキャンセル出来なくなったので、Mさんが代替えの私の妻を案内して実行する事にした。

5月11日午前11時仙台空港に到着、Kさん夫妻と私が出迎えた。15年前に妻と私がワルシャワに行った時、撮った写真を持って待っていたところ太った彼女が現れて一瞬見間違ったのではと疑った。欧米人は年と共にふくよかになるようで、ハグの挨拶ではふんわり包み込まれるような気分だった。

取り敢えず秋保大滝へ案内し、昼食には天ぷらざる蕎麦を馳走した。箸の遣い方、食べ方を教えると箸の遣い方はぎこちないが、おいしかったと完食、店主も外人が全部食べたのを見て喜んでいた。

その後、西方寺に行き本堂、五重塔の前で記念写真を撮り、午後5時過ぎホテルに行った。1日目は無事終了。2日目は私が石巻、東松島、松島、塩竃、七ヶ浜、多賀城を案内した。茫漠とした被災跡地を見て唯々呆然としていた。建物が殆ど流され、死者行方不明者が数多く発生したのに心打たれた様子であった。松島では水族館見学、水槽に大きな魚の泳ぐ様子に興味津々、写真に納めるのに忙しく走り回っていた。

彼女の故郷は内陸のポズナンなのでバルト海沿岸の都市には水族館があるらしいが見た事がないと言っていた。

松島海岸から遊覧船で塩竃に行った。外海で船の揺れに酔った様に見えたが我慢して島影を写真に撮っていた。塩竃船着場には義兄が車で出迎えてくれたので七ヶ浜、多賀城を案内してもらった。ここでも瓦礫は片付けられ平坦に整地されたままであった。海水浴で賑わった面影はなく淋しい限りである。その夜は北海道に行った連中と仙台駅で落ち合い一緒に夕食を取る予定であったが時間の喰違いで会えず、二人だけで寿司屋に入った。のり巻きは一切れ食べただけである。多分のりの匂いが鼻に付いたのだろう。その外は適当に摘まんでいたが、全部食べきれなかった。早々に店を出てホテルへ帰還。3日目は朝8時半に家内を連れてホテルへ行き家内を引き合わせた。その際、お土産として立派な装丁の本等を頂いた。

やがてKさんが現れ広島行き飛行機で案内してくれた。以下Kさんの報告、昼食に広島お好み焼きで日本食を堪能した後、原爆記念館を見学した。一発の原爆で1都市全滅に驚き戦争の悲惨さをしみじみと感じ取ってくれた様子であった。4日目は安芸の宮島に渡り厳島神社の神楽舞、そのきらびやかな衣装に感嘆していた。午後には京都に移動し、葵祭の宵祭を見学した。5日目は清水寺、祇園街で舞妓さんとツーショット、葵祭の行列を見て、東京へ、夕食はKさんの親戚の寿司屋さんに連れて行きワインを飲みながら寿司を食べた。客の中で英語を話す客がいて、盛んに話しかけてきた。お互いに酒、ワインを飲み交わし楽しい夕べを過ごしていた。帰り際に店主から寿司屋の茶碗をプレゼントされ喜んで持って帰った。

6日目は外国人専用ハトバス都内観光に出かけた。車内で自己紹介をさせられたのでKさんが日本人ですというと皆怪訝な様子だったが、状況を知って納得してくれた。バスガイドさんが「街中には修学旅行の中学生が寄ってきて、Hello, How are you? Where do you come from? my name…、What is yoar name? thank yor good bye といってサインをせがまれるかも知れませんが悪気はありませんので、ご協力してください」とユーモアを交えて話してくれた。実際その様な場面に出喰わすと彼女は有名人になった気分だと満面の笑みを湛えて協力していた。

7日目は銀座のデパートで自分用の化粧品を購入、数人の友人から頼まれた化粧品はそこにはなかったが店員が親切にも検索して売っている店を紹介してくれた。これには彼女は大変感激していた。夕方に帰仙した。その晩最後の晩餐会を小料理屋で、彼女、K夫妻、我々夫婦、5名で開催し、旅の思い出、感想を聞いてみた。すこぶる良好で日本人は親切です。新幹線の滑り出しはスムーズでスピードが速く素晴らしいと言っていた。

8日目は早朝の出発なのでホテルの朝食無しで辛かったろうが、K夫妻、我々夫婦で仙台空港で見送った。後日お礼のメールが届いた。

「良い旅行計画を企てて頂き十分満足しました。帰りも長旅でしたが無事帰宅できました。家に着いたのは19日午前1時(ポーランド時間)でしたが母に旅行話をしながら、お土産を披露しているうちに朝が白々となってしまいました。写真を整理し終わったらお送りいたします。」

以上、外国の友人を招待した案内記である。老人のプラトニックラブの終焉となるだろう。

(記  石川 久順)

宮城マスター1級のすすめ

震災以来中止されていた「宮城マスター検定」が4年振りに再開されます。

この検定は、宮城県が主催するもので、宮城の歴史、産業、観光、文化など宮城に関する知識を検定するものです。

従来は、3級、2級とステップアップして1級の受検資格を得るものでしたが、再開後はスタイルを変えるようです。

第1回目の1級検定は、今は解体された東北大川内キャンパスの階段教室でおこなわれました。

1時間で50問、合格ラインは80点以上です。35問までは4択ですが、残り15問は記述です。例えば

「詩人・英文学者としても知られる「荒城こうじょうの月」の作詞者が晩年を過ごし、愛用品や写真、書画などが展示され、当時を偲ぶことができる旧邸の名称は何でしょう。(漢字でお書きください。)」

というようなものです。

答えは「ばんすいそうどう」と解るのですが、問題は漢字です。「すい」の字がなかなか思い出せず悩みました。

「ずいほうでん」「ずいがんじ」などと答える問もあり、これは「ずい」の字が書けないと2問失います。

受検に臨んでは、(1)一通り最後まで一気に回答する。(2)自信のない問題に印をつける。そんな程度の態度でのぞみました。

実際に、一気に最後までいってみたら20分程の時間がありました。ところが、印だらけ。自信のある問題が少ない。ここで腹をくくって、択一問題は振り返らず、記述問題のみ検討することにしました。(過去問題は、県HPで公表されていますので挑戦してみてください。)

仙台七夕飾りの七つ、大崎八幡の裸参りで右手に持っているもの、気仙沼の郷土料理、そして前述の「すい」の字、この4つにとことん時間をかけました。

結局、七夕飾りは「くずかご」が出てこずアウト、裸参りは音がしていたことを思い出しセーフ、「すい」の字もぎりぎりセーフ、気仙沼の料理は「あざら」を不正確に記憶していて「あざれ」と書いてアウト。

終わった感想は、こりゃダメだ。

しかし、無我夢中、一心不乱、久々の忘我の極み、あっという間の1時間でした。かなり心地よい終了感でした。

そして、この第1回目で思いがけずに合格してしまいました。

後で聞いて驚いたのですが、合格率2.6%の難関でした。その後3回まで実施され、震災で中止されましたが、3回の合格者は、まだ16人という、多分日本一難しい「ご当地検定」のようです。

後日開かれた合格者の集いでは、たった6人だけの1級合格者は、県知事、川島教授とメインテーブルで同席の特待でした。

現在は、1級合格者の会が結成され、独自の活動などもしています。先日も、「広瀬川」を歩きました。

自分の住んでいる宮城の歴史、文化、産業などにふれ、もっともっと宮城を知るきっかけに、是非、再開される宮城マスター検定1級に挑戦してみてください。何かが変わるかもしれません。

(記  田尻 勉)

トピックス

かねてご案内の「暑気払い」を、去る八月二日土曜17時から愛子駅前の ”角屋”さんにおいて行いました。

12名の方々に参加して頂きましたが、その日も朝からウダルような暑さで、その意味においては絶好の暑気払い日よりでした。

カラオケもなく、ただヒタスラに食べては飲み・飲んではクッチャベルだけのいわば一昔前の「飲み会」の様相を呈しておりましたが・・・それでも結構盛り上がっておりました。

おトシのわりには、ピッチャー・アツカン・チュウハイ等のお代わりコールが激しいものですから、仲居さんたちもただただ驚くばかり・・・・・「時間ですヨ」のお声がかかるまで、話の輪が崩れることはございませんでした。

そして皆さん午後7時過ぎには「ご満足」の帰路につかれたのであります。

私たちは、40人に満たない小さなちいさな会組織ですが、やってることがデカイ。

建設省出身ですから、「飲み」の多さは当然としても、地域貢献策として4月から11月まで年8回も国道48号の「クリーンアップ大作戦」を展開しておりますし、会員相互が対象とはいえ「ホームページ」まで立ち上げて情報交換等しております。

整備局関連のOB会はいっぱいございますが、これだけ頑張っているところはまずありません。

これも会員各位のご支援・ご協力があればこそでありますが、皆さん決してご無理なさらないようにお願いいたします。

「ユックリ・ユックリ」まいりましょう。

次は、順番として「芋煮会」ですが、期待して待ちたいと思います。

それでは、次の「芋煮会」に思いを馳せて”ゴキゲンヨー・さようなら”

(平成26年8月 幹事長 中村)

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