平成25年春号(vol.29)

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成25年ボランティア活動予定

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

活動は4〜9月の第4土曜日で、平成25年の活動予定日は下記のとおりです。当日は宮城総合支所駐車場に集合し、午前6時半から約1時間程度の作業を行う予定です。

  • 平成 25年 4月 27日(土)
  • 平成 25年 5月 25日(土)
  • 平成 25年 6月 22日(土)
  • 平成 25年 7月 27日(土)
  • 平成 25年 8月
  • 平成 25年 9月 28日(土)
ボランティア風景 
ボランティア風景

会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

「アウシュビッツ」探訪記

毎朝5時に目を覚まし、NHK第一放送の「あさいちばん」を聴いています。5時28分から始まる「今日は何日」を2年間日誌に記録してきました。今日は1月27日、1945年の今日アウシュビッツがソヴィエット軍に解放された記念日です。その年の5月7日にドイツ軍は連合軍に無条件降伏しました。

13年前この収容所を訪問しました。行くまでは収容所は1カ所と思っていましたが、実はアウシュビッツとビルケナウの2カ所に別れて存在していました。その間、バスで20分位の距離だったかと思いました。古都クラコフから西にバスで1時間位の位置にアウシュビッツはありました。あの有名な「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)の門をくぐって収容所の敷地に入りました。かってはこの門の中に入った者を待っていたのは劣悪な住居環境、栄養失調、強制労働、伝染病、そして銃や毒ガスによる死でした。28棟の赤レンガ造りの建物は当時のままでした。

13棟の内部には眼鏡のつる、義足、カバン、靴、食器、毒ガスチクロンB空缶、ご婦人の毛髪そして囚人服を着た少年少女の写真が展示されていました。毛髪はカーペットや軍服の肩パットに利用されたと言われています。3〜4棟を見学しているうちに何となく異臭を感じ重く息苦しくなり思わず外部に出て新鮮な空気を吸いました。

戦後55年も過ぎてガスの臭いが滲み残っているとは思えないのですが。その他1m2(平方メートル)に4人を立たせた拷問部屋、裁判室等もありました。10号〜11号棟の間には2万人を銃殺した壁がありました。「アウシュビッツ」よりさらに恐ろしいものはたった一つである。それは人類がそのような場所が存在した事を忘れてしまう事だと生存者であるヘンリ−・アベルの言葉が強く印象に残りました。ビルケナウは欧州各地から貨車に乗せられて到着する最初の収容所です。もとは木造馬小屋を改造して宿舎に当てたもので両側に2段ベット、中央の飼葉溝をトイレにしたプライバシーなど微塵もないよどんだ空気、悪臭の劣悪な環境に押し込められて死を待つ心境は如何ばかりだったろうか。戦争とは人間をかくも非人間扱いをするものだと肝に銘じて絶対に起こしてはならないと改めて決意した次第でした。

口直しの意味でクラコフで昼食を採った後ヴェリチカを見学しました。1978年にユネスコの「世界文化遺産」に指定された岩塩鉱山です。クラコフから南南東13kmと近いところにありました地下327m、採掘場と坑道の総延長300kmに及ぶ広大な岩塩鉱山です。内部の壁に彫刻、シャンデリア、祭壇、すべてが透明な塩の結晶で作られた見事な芸術作品でした。特に巨大な礼拝堂「キンガの部屋」をはじめ、何もかも塩でできた地底都市は圧巻でした。地獄から極楽に救われた安堵感に満ちた一日でした。

(記  石川 久順)


つぶやきコーナー

震災復興への絆のうれしさ

みやぎ会の皆様、昨年6月に愛子に移転しまして、みやぎ会に入会させて頂きました営繕部OBの菊池豊三です。宜しくお願いします。

東日本大震災から、2年の歳月が過ぎましたが、私にとりましても色々な事が思い出される日々で、振り返って見たいと思います。

3月11日に営繕部長室で会議中に地震に遭いました。すぐ庁舎の安全性を確認する為に、窓から無線鉄塔が倒れてないのを確認しました。渡り廊下へ向かう途中の壁のひび割れを確認しながら、車庫の柱が壊れてないのを確認して、外から庁舎をぐるりと廻って煙突が倒れてない、窓のガラスが壊れてないのを確認して、大きな被害が無いことを確認できてすごく安心しました。

本局の玄関がある西庁舎は、仙台で最も古い年代の鉄筋コンクリート造のカーテンウォール事務庁舎の一つなのです。その後増築を進めながら、様々な地震を体験して的確な耐震補強を行った結果、今回東北防災拠点としての機能を失う事なく機能する事ができました。

そして3日間庁舎で仮眠を取りながら東北管内の国の庁舎などの被災状況の情報収集に当たりました。防災ヘリコプターからの映像で津波による被災状況が明確になるにつれ、自分たちの田舎の様子にびっくりしました。

私の田舎は亘理の阿武隈川の河口で鳥の海の荒浜ですが、津波による浸水で殆どが流失している画面から、実家のすぐ近くの小学校が残っているのを見つけ、すぐ目を大きくして画面を追いかけた時に実家の形が残っているのが見えた時の驚きと、喜びと連絡が取れないもどかしさの中で、妻の実家がある石巻の奥の雄勝町の映像が出てきました。湾に面している住宅が全て流失していました。後日確認したら住宅の基礎しか残っていませんでした。荒浜の実家は1階の天井まで浸水し、使用できない状態で町に取り壊しを依頼しました。近所の姉の家は1階の中程までの浸水でしたが、まだ新しいので残しました。避難所で兄弟・親類・同級生と会えた時の喜びは忘れません。

3月末に60歳の定年をあわただしく迎えて、休む間も無く、4月1日から下水道事業団に嘱託として就職し、すぐ宮城野区の南蒲生浄化センターの被災調査を始めました。そしてすぐ応急復旧工事が始まりました。

その間を縫って川内の公務員住宅から、すぐ隣の八幡町に賃貸マンションが見つかり引っ越しをしました。川内では11階の最上階ですばらしい眺めでしたが、地震で蛍光灯が天井まで飛び跳ねて壊れてしまいました。八幡町でも6階の最上階で、余震の度に大きく揺れて怖くなりました。

職場は岩手県から福島県までの被災した下水処理場の復旧工事で多忙の日々でしたが、2年目の4月に入り住宅を探し廻っていて、偶然に愛子の上愛子クリニックの隣に小さなマンションを見つけました。

高層マンションは怖いので3階建の2階にしました。エレベーターはありません。年老いても、階段の登り降りがいつまで出来るかが、必須条件です。夫婦で足腰を如何に鍛えるかが課題です。誰かいい方法を教えてください。

愛子に来て、川内時代のPTAとか町内会での友達が愛子・落合に住んでいて、大変懐かしくお会い出来、とっても嬉しくなりました。

営繕部OB会と整備局での出身大学OB会も開催され、多忙から解放されて、昔話に時を忘れて遅くまで盛り上がりました。

年末にみやぎ会の忘年会にお誘いをいただいて、懐かしい先輩の皆さんと楽しい時間を過ごしました。旧みやぎ町にこんなに多くの先輩、後輩の皆さんがいる事と、それ以上にこのような地域に根差した会があることにビックリしました。HPも作っているなんて!!!

被災と就職、引っ越し、復興の仕事等の慌ただしい日々の中で、見知らぬ愛子の地に来て、心ぼそくて心が折れそうになった時に、昔の近所の知り合い、友人、職場の先輩、後輩の皆さんとの出会いと懇談会などでの世間話と真心からの励ましに、どんなに癒され勇気づけられたことか、本当にありがとうございました。頂いた勇気で田舎の兄・姉と懸命に家の復興に頑張った結果、実家の長男は亘理の津波の来ない所に家を建て始め4月に岩沼の仮住まいから引っ越し予定です。姉の家もリフォームが始まりお盆までに仮設住宅から移転予定になりました。親類も少しずつ自立へ歩み始めています。

被災から2年の月日の中で、知り合い、友人、職場の先輩、後輩の皆さんとの絆がこれ程までに深かった事のうれしさと、頂いた勇気で兄弟姉妹、親類の絆を一層深め合えて、復興への一歩を歩める事ができました。

みやぎ会の皆様!本当に絆をありがとうございました。感謝申し上げます。

少しでも恩返しができる様に、東北・宮城の復興に頑張ります。

(記  菊池 豊三)

トピックス

「みやぎ会」は、平成3年12月28日「ホテル奥仙台」での総会がスタートで21年を経過しました。その間、会長も細谷義昭、菅原政一、清水昇氏と代わり、会員も高齢化となっておりますが、近年若者?が入会して活動を始めております。

「みやぎ会」の主な行事は、4月「観桜会」、4〜9月の第3土曜日午前6:30〜7:30「ボランティア(48号愛子バイパス清掃)」、5・9月「ゴルフ」、10月「芋煮会」と締めくくりの12月29日「総会・忘年会」があります。ゴルフは高齢化でプレイする人が少なくなり寂しい昨今です。

このうち「観桜会」、「芋煮会」と「総会・忘年会」では懇親を深めるために、お酒を飲みながらの「近況報告(欠席者はコメントを一覧表で紹介)」があり、思い出話やカラオケで賑やかになります。昨年から会場の都合でアカペラとなり昔懐かしいお手拍子でお国自慢の民謡などで座が盛り上がりつつあります。

平成24年の総会・忘年会は、12月29日(毎年固定です)16:00から2時間行われました。総会では1清水会長あいさつ、2議事(事業と予算の実施・計画の報告・承認)、3役員改選(今年は一部改選で若返りがみられました)、4その他(諸々の報告など)でした。約20分で終了して忘年会に移ります。

毎度忘年会では、ビールでの乾杯で始まり、熱燗が乱立しすぐ倒れてしてゆきます。頃合いを見てお店からお酒又は焼酎の差し入れと挨拶があります。飲み始めて1時間もかからないでマイクを片手にする人、手拍子をとる人、唄う順番を待ちきれない人、話に夢中になる人、次の方のご指名で汗を流す人(幹事です)などなど賑やかになります。

それでは過去にさかのぼって忘年会に限らず、かって「観桜会」や「芋煮会」に出席してご披露した方々の歌をご紹介しましよう。現役時代の仕事ぶりからは伺えない人柄が浮かび、ひと味違ったものがありますよ。懐かしい方々も出演します「みやぎ会歌謡ショー」をご紹介しましょう。

みやぎ会でのカラオケのトップバッターは高橋林平さんです。藤あや子の持ち歌は知らないものがないという方で「むらさき雨情」、「みれん」ですが、他にも「風に立つ」、「北空港」、「巡り逢い赤坂」などなど声にも張りがあるのですばらしいの一言です。次の方の歌が出ないときは勝手に藤あや子の曲目を選んでもマイクを持ってくれます。

みやぎ会の会長は役目柄ショーの始まりが出番ですが、細谷義昭さんの時代はカラオケが無い懇親会だったのか?記憶がありません。菅原政一さんは、「女のきもち」に始まり「坊がつる賛歌」、「江差・追分・風の街」が出ます。清水昇さんの十八番(おはこ)は長野国道工事事務所長時代の「千曲川」です。「山のけむり」、「浪花節だよ人生は」もありますが、やっぱり味のあるのは「千曲川」ですかね。

これからは持ち歌を持って三々五々(入れ乱れて)登場しマイクを握るのですが、五十音順に紹介しましょう。

浅野実さんは野球は阪神フアンとして有名で、しかも町内を流れるサイカチ川の清掃に精を出されていますが歌は「旅の夜風」一筋です。石川久順さんは欠席の時など「思うことや近況」を英語で書いてくるので解読に一苦労しますが、歌もカラオケなしのいわゆるアカペラでしかも英語で歌います。だれも理解できていないでしょうけど・・・・今回の近況にはフランス語もプラスしました。

浮田巳嘉さんはレパートリーが多いようなのですが「会いたかったぜ」、「男船」、「はるかなる愛」を披露します。及川公一郎さんはみやぎ台を転出されたのですが、みやぎ会のホームページ編集委員長として大活躍をして、かつ諸行事に顔を出されている貴重な方です。歌はそんな「男の背中」を歌います。

大内英郎さんは、北島三郎の歌をプロ級のレベルで披露するのですが、会では何故か「おふくろさん」で終わってしまいました。小野寺富一さんは福島に行く前は「酒よ」、「岩木川」を歌っていました。

片桐眞次さんはスポーツマンで元気一杯で歌は何でも歌いますが、その時の雰囲気で「野風増」、「流氷」、「上を向いて歩こう」です。軽部久さんは出席のたびに曲目が替わり「青葉城恋歌」、「木曽路の女」、「ほたる」、「みだれ髪」となります。

佐々木爽春さんは「やんちゃ酒」、「なさけ川」を歌っていましたが「これから音頭」が最後となりました。佐々木洋治さんは「女のかぞえ歌」、「小さな手紙」などの他に、茶々が会場の時にはママと一緒に「紅の舟歌」を歌います。合わせるママが苦労しているようです。

鈴木操さんは時々顔を出して「男のブルース」、「むらさき雨情」を歌います。高野正治さんはダンスがすばらしく、どなたの歌にも合わせて踊ります。歌は「チャンピオン」がインパクトがあります。続いて「裏切り」、「骨まで愛して」、「君がすべてさ」、「千曲川」となります。

田尻勉さんは秋田民謡が得意なのでしょうが「遠野物語」、「岩木川」を歌います。仲山善博さんは金がかかった歌で「大阪しぐれ」、「方恋酒」、「さだめ川」、「明日のゆくえ」を気分を出してマイクを愛おしく持って歌われます。

浪岡亮さんは「津軽平野」をぽつりと歌い、平野多田夫さんは発足当時から幹事長としてご苦労をしておりますが、歌は「長良川演歌」、「霧にむせぶ夜」、「夢追い酒」となります。朝、横断歩道で黄色い旗を持って立ち小学生の交通安全を誘導している姿には頭が下がります。

平山喜勝さんはゴルフ大好き人間でしたが、歌は「奥飛騨慕情」で終わりました。藤田守雄さんは「酒と二人づれ」、「愛をあかりに」、「夢いちど」を歌います。

三浦武夫さんは「中之島ブルース」一筋。宮腰十四男さんは何でもござれと歌いまくります。「昭和流れ唄」、「冬の酒」、「冬カモメ」、「花」、「門出」、「酒尽尽」、「夢に抱かれて」、「満点の星」となり「途中下車」無しでマイクを離さないですよ。

山内賢さんは「総会・忘年会」の幹事(歌係?)として汗を流していますが、歌は「人生はれたり曇ったり」です。

いかがでしたか?昨年の観桜会ではカラオケ装置も費用が掛かるとてお店から無くなり歌詞提供のアカペラで久方ぶりにお手拍子での民謡大会となりましたが、一人高橋林平さんだけは藤あや子の歌を歌詞なしで上手に歌っておりました。さすが!!ですね。

今回は、石川進作、柴田久、庄子富夫さんが新人歌手としてデビューされましたが、あまりにも上手くて聴き惚れて曲名を記録するのを忘れてしまいました。次回を楽しみにしてください。

これからも楽しく想い出に残る懇親会になりますように・・・・・・・・。

(記  佐々木 洋治)

原稿募集のお知らせ

編集委員会では、会員の皆様からの原稿を募集しています。

おもしろい話、地域の出来事等、ドシドシ、お寄せ下さい。まってまーーーす。

【問い合わせ先】  

担当:及川 公一郎