平成22年夏号(vol.18) 

みやぎ会 鳳鳴大滝
鳳鳴大滝
みやぎ会の活動
平成22年ボランティア活動状況

みやぎ会では、東北地方整備局が行っている「ボランティア・サポート・プログラム」の認定を受け、国道48号の清掃活動を行っています。

ボランティア風景 ボランティア風景

大倉ダム物語

大倉ダム物語(IV) 〜ダム型式、旧宮城町上水道用水の確保〜

ダムの型式の選定に当たっては、「ダム地点の地形、地質、洪水吐、堤体材料について十分に検討の上これを決定しなければならない」とあります。大倉ダムの計画を推定すると基礎岩盤、左右岸岩盤共堅硬である。データは無いが種々岩盤試験の結果良好であったと推察されます。アーチダムの型式の定義「天端での谷幅がダムの高さの1.5倍程度のときは、重力式の堤体積の30%程度の低体積で設計が可能であり、地質条件に恵まれている場合は天端での谷幅が3倍程度までは重力式ダムよりも経済的に有利といわれております」ここで岩盤の地質条件の悪い方からアースダム、ロックフィルダム、重力式コンクリートダム、アーチダムと成りますが、条件の異なる基礎岩盤を応用して表面遮水型フィルダム、コンバインダム、中空重力式コンクリートダム、重力式アーチダム等があります。

大倉ダムは、谷幅があることから中央にスライスブッロクを設け人工的な岩盤(支持ブロック)により左右対称にアーチダム設計したものと思われます。完成時にはスライスブロック天端に管理所が治まりダム中央に要塞的に全ての要件を満たしていたと思われます。私も当時ダム管理施設要綱の作成に携わりましたが、ダムの管理所の位置は「ダムの左右岸及び上下流が見える位置とする」等規定していたと思われます。まさに大倉ダムは規定にそのものでした、その後、局の河川管理課で大倉ダムの管理所の話を聞く機会があり 一つには洪水のダム放流時振動ある。二つには台風 大雪等の異常気象の場合ダム天端を通り管理所に行かなければならない等危険であることから現在の管理所は工事中の骨材プラント跡地に移したものと思われます。

水道用水に旧宮城町は不参加 特定多目的ダム法に基づく東北地方最初のダムとして着手したダムであるが旧宮城町は上水道用水に不参加でありました。昭和50年 私は局の河川部 河川管理課 ダム管理係に所属していました。旧宮城町の建設課長が大倉ダムの水を上水道に貰いたい、灌漑用水の転用の話がついてダム使用権の再アロケーションの手続の話でした。局では初めての再アロケであった。私も3、4回本省に打合せ参加した。当時旧宮城町では、井戸が飲料水で困る家は殆んど無かったと思われます、昭和50年頃みやぎ台等の団地開発計画が進み旧町では慌てていたものと思われます。私の経験では井戸水で困る場所は少なく3m〜4mの井戸で家庭用水は充分であったと思われます。中学3年頃井戸掘りのアルバイトをした記憶が有ります。年寄りの爺さんが小さい鶴嘴とスコップ、三脚つきの滑車、モッコ、バケツ、ロープ、玉石で井戸掘りは充分でした、爺さんの言葉「バンまで掘れば終わりだゃ」これは晩と盤 言葉のあやで頑張れという事でした。

昭和39年東京オリンピック等、日本の社会の発展が著しく、3C時代(カー、カラーTV、クーラー)、洗濯機が普及された時代で水需要が大幅にアップしたことと、下水道もなく地下水の水質悪化が進んだもので上水道用水に頼らざるを得なくなったものと思われます。

(記:高橋 成美)


会員の広場

平成21年春号から『会員の広場』と言うコーナーを設けましたので、会員のあなた様の”常々思っていること”、”あなたの周りのあんな事、こんな事”等掲載をしていきたいと思いますので、是非ご愛読よろしくお願いします。

「健康」と「管理」

昨年の7月中旬の夕方、食事中に、食卓から何かを落とした様な感覚に見回れ、急に気分が悪くだるくなり、気分の回復を待ったが良くなりませんでした。回復の兆しもなく、だんだんとろれつが回らなくなるような気がしました。そこで、家族に救急車を要請してもらい救急隊員が来て病状を聞かれても、言おうとしていることがなかなか言葉にならず、説明をするのに時間がかかった様な気がしました。何の兆候もなく起こった出来事でした。

救急車で病院に搬送され、到着後に当直の医師から問診を受けたが、聞かれた事は、わかっていても言葉が出てこず、説明をするのに大変苦労しました。


診察の結果、脳梗塞(*1)の疑いがあると言われ、すぐにCTやMRI検査を受けた。

心房細動(*2)による血栓が発生し、頭部の毛細血管に詰まって脳梗塞を発症したものと思われるとの説明を受けました。

その説明の中で、『脳梗塞を発症してから3時間以内であり、血栓を溶かす薬を投薬していけば、あまり大きな後遺症が残ることは無いと思われる。』との説明も受けました。

入院の翌日には、ろれつが回らない状態も解消し、2週間点滴と薬を飲み経過を観察した。その後、『血栓の発生を防ぐ為には、薬物療法が不可欠である。』と言われ、薬「抗血小板薬」「抗凝固薬」の適量を決める為の血液検査等を実施。

入院から19日目に退院。その際に、危険因子を減らす治療を続けることについて次のような説明を受けました。

「食事療法」「運動療法」「禁酒」等の生活改善について、また、心房細動などの不整脈への対処等について。

退院後に心房細動による血栓の発生による脳梗塞防止ための治療について、このまま薬物療法を続けるべきか、また、非薬物療法の治療を受けるべきか。迷いもありました。

そんな時に、知人から、不整脈(*3)「心房細動」の非薬物療法「カテーテル・アブレーション(*4)」の手術を実施して根治したと聞き、また、「一度その病院を受診してみては?」と勧められ、医師に紹介状をお願いして受診することにしました。

平成21年10月に土浦市内の病院の循環器内科を受診して、心電図や血液検査及び診察の結果、『頻脈性不整脈(*5)「心房細動」が見られる。このままでは、血栓が発生して脳梗塞の再発の恐れがある。早急に手術「カテーテル・アブレーション」を実施して脳梗塞の再発防止に努めるべき』と医師から説明を受ける。その場で、手術の方法、リスク、入院期間、根治の確立、手術「カテーテル・アブレーション」を実施するまでに行う検査及び薬の投薬についても説明を受けました。

医師の説明の後に、根治すれば薬の投薬もなくなることから、1ヶ月後の11月に手術「カテーテル・アブレーション」の予約をして帰宅しましたが、その後、手術までに4回程通院して検査を受けました。

手術当日は12時過ぎから「カテーテル・アブレーション」手術が始まり4時間程掛かりました。

手術中は麻酔が効いて痛みもなく終了した、止血の為、からだがブロックされ朝まで過ごすのが辛かったです。

手術の次の日から歩くこともできましたし、3日間程の点滴と抗不整脈薬および抗凝固薬の投薬を受け、手術後5日間で退院できました。

退院してから6ヵ月が過ぎました。これまで4回通院して検査及び、診察を受診してきました。

その後、『不整脈(心房細胞)の兆候は見られない』と言われ、抗凝固薬も止め、血圧・コレステロールを下げる薬・脈の乱れを整える薬を飲んでいます。

手術前には、血圧、脈拍とも、ばらつきが見られたが。手術の結果、血圧、脈拍も変動が少なくなり、手術をして良かったと思っております。

これからも、食事等に注意を払うと共に、適度な運動を行うようにして、心房細動の血栓の発生による脳梗塞の再発防止ため健康管理に気をつけていきたいと思います。

(記:S・Y)

トピックス

みやぎ会観桜会の報告

恒例のみやぎ会観桜会は、去る4月24日(土)に13名の参加で行われました。

場所と趣向を若干変えましたが、不都合の方が多く、記録的少人数となりました。

しかし、ゆったり温泉に入る人、カラオケ三昧の人、飲む人、しゃべる人。

それぞれ、楽しい時間を過ごしました。

以上報告いたします。

(記:花見幹事 田尻)  

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